柳に風、掃き溜めに鶴
人間は結局のところ原子で出来ているので、構成要素自体はヨーグルトとそんなに変わらんのです。じゃあ何故人はヨーグルトと人間をわざわざ区別するのでしょうか。ヨーグルトと人間ってそんなに変わらないじゃないですか。まだ意識とか生命とか暇つぶしとしての学問が独り歩きする随分前に人間はおのがじしとヨーグルトに明確な境界線を引いたのですが、そんな曖昧な境界線なんざ信用に足りるわけないのです。徹底的に疑いましょう。人はなぜヨーグルトではないのでしょうか。ヨーグルトの中に人間の意識が入り込んでいるかもしれないのです。そのヨーグルトがそれを我々に伝えることが出来ないだけなのかもしれないのです。骨の髄まで、重箱の隅まで徹底的に疑いつくしてやりましょう。バイアスの存在を疑いましょう。疑いだけが人に真の知識をもたらすのです。
というわけで初めまして。ymd(2周目)です。様々な要因が絡み合って最終的に12/25を僕が担当することになったことに運命的なものを感じております。
前回は真面目に自己紹介をしなかったので、改めて自己紹介をします。
ymdと申します。当アドベントカレンダーを彩ってくれた方々の属するサークル、910productionの代表をやっております。モバマスのssをちょくちょく書いています。
好きな音楽はバンプ*1とガリレオガリレイ*2とアジカン*3とスピッツ*4と米津玄師*5です。好きな本は重力ピエロ、好きな『吾輩は猫である』の一文は「果然彼は墻壁の欠所に吶喊して来た」です。好きな横文字はペトリコール、好きな化学物質はスコポラミンです。好きなものは無限に存在するがゆえ、ここに書ききることができないのを悔やむ次第です。無限だとか永遠だとか、そういった類の架空は我々には与えられていないのです。空に架かると書いて架空ですが、存在しえないものはまさに虹、見えたとしても触れることはできないのです。追い求めたものが蜃気楼だった人はどう足掻いても救われないのですしせめて笑ってやりましょう。ウケる。
世の中には2種類の文章があります。他人に読んでもらうための文章と、他人に読ませる気が無い文章です。前回は僕の豆粒ほどの語彙力を駆使して他人に読んでもらうための文章を書きました。可読性の高い文章を書く経験の乏しさゆえに懊悩煩悶艱難辛苦の甚だしきことこの上なく、これ以上真面目に文章書くのは私のフィロソフィーに反します。というか理論上不可能です。ここまで真面目に読んで頂いた方(存在するかどうか怪しいのだけど)はお気づきでしょうが、到底読ませる気のないような文章を書いていますし、本記事はそういった言葉たちの掃き溜めになる予定です。ご容赦ください。とはいえ今回は不穏だとか漠然とした怒りだとかをここに書き綴るつもりはありません。ご安心ください。
特に書くことも思いつかないので、頭に思い浮かんだことを書きます。
ペトリコールは好きな横文字のひとつなのですが、これはどういう意味なのでしょうか。wikipedia先生曰く、「雨が降った時に、地面から上がってくる匂いを指す言葉」だそうです。この言葉の不思議なところは、日常会話で使う必要性が感じられないところです。日常会話でどうしてもペトリコールという言葉を使わなければならないという場面は存在しないじゃないですか。「うっわ今日ペトリコールやべえな」とか言っても誰にも通じないですよ。じゃあ何故この言葉は存在しているのでしょう? wikipediaによれば1964年発表の論文の中で作られた造語だそうですが、そんな言葉が現代の日本で使われているのがそもそも不思議で仕方がありません。
花だとか星だとか病気だとか、そういった類の事物の名前は他者との区別のためだけに存在するのでしょうか? 僕は物の名前に他者との区別以上の意味を見出しています。花に名前を付けるのはそれを愛でるためでもあるのでしょうし、星に名前を付ければ地球と何光年も離れている星がぐっと手もとに近づきます。よくわからない症状で苦しんでいるときに自分の罹患した病気の名前が分かれば漠然とした恐怖から解放されます。人の名前なんかは特に顕著ですよね。人と他者を区別するためだけに名前が存在するのなら人はマイナンバーで識別されるようになるのでしょう。文明が開化してなお親が子に名前を与えるのは、他者との区別以上の役割を名前が果たしているからです。自明ですね。
翻ってペトリコールです。僕はペトリコールという言葉の存在を人間の美意識めいたものが守っていると考えています。雨のあとの、あのなんとも名状しがたい香りがわざわざ言葉という生命体になって息をしているのは、なんとなく、本当になんとなく惹かれるものがあるから、という気がするのです。雨が上がって街を温かさが包むあの10分間、時間と共に霧のように消えていくあの香り。それがペトリコールなのです。こんな言葉なかなか存在しないですよ。彼の心臓の鼓動は我々の理性でなく、儚いものを愛でる感情、まるで氷を抱きしめるような思いによって保たれているのです。ペトリコール、良い言葉ですよ。僕がペトリコールを好きな横文字に挙げる理由をなんとなくわかって頂ければ嬉しいです。
名前がついているかついていないかの境界線は存在しているか存在していないかではない、というのはなんとなくお分かりいただけるかと思います。これは不思議なことなんですよね。存在しているものには確かに名前がついていますが、電柱の上にくっついているゴミ箱みたいなものだとか、カーテンを纏める布だとか、そういったものは名前を呼ばなくても生きていけるので名前は知らないじゃないですか。かたや神だとか幽霊だとかそういった類の存在しないものにはれっきとした名前がついています。それらが一秒たりとも脳の記憶領域から抜け落ちることはありません。人間というものは不思議なもので、存在しているものを差し置いて存在しないものに先に名前を付けたりするのです。僕は存在しないにもかかわらず名前が付いている四字熟語の言葉が好きなんですよね。その言葉が存在しているのがなんとなく不思議に思えるのです。時空犯罪だとか、銀河鉄道だとか、永久機関だとか、世界平和だとか。不思議ですよね。言葉の世界は本当に面白いものです。
クリスマスなのに全然関係のないことを書いてしまいました。ウケる。
さて、アドベントカレンダーというものは本来12/25で終わりなのですが、当サークルのアドベントカレンダー的な行事は本日12/25以降も続きます。また、今回に限らず今後もサークル員が自己発現できる場を積極的に作っていこうと思うので、よろしくお願いします。
メリークリスマス。