イカしたメンバーを紹介するぜ!

 

 

いの(@c_love_r_master

 バーニング文学のいの!

 

 以上だ!

 

 

 

 

 

 これは京大アイマス研910productionのアドベントカレンダー

adventar.org

の二十三日目の記事です。一年の終わりということもあり*1、今回は当アドベントカレンダーに様々な記事を投稿してくれたメンバーたちに対して僕個人が普段感じていることなんかを勝手につらつらと書いていこうかと思います。つまり完全に内輪向けです。個チャでやれよ、みたいな。しかも自分語り要素が割かし入っています。したがって、わざわざここでやらなくてもいいだろ的な気持ちが少なからずあるのですけれど、しかしまあ自分の感情を相手に伝えるための機会も勇気もそう都合よく転がっていないもので、こういった機会にやってしまわないと一生できそうにないんですよね。以下はそんな感じで展開していくのでよろしくお願いします。覚悟しろ。紹介する順番はほとんど適当です。

 

 

 いのさんの分はさっきので終わりです。*2

 

 

某しま(@psm3108_k

 インターンやらオタクイベントやらのため日夜世界各地を飛び回っている、バイタリティに満ち溢れた三回生です。嘘です、誇張しました。某しまさんは本当に忙しそうというか大変そうというか、いやもしかしたらそんなこともないのかもしれませんけれど、個人的な所感を述べるのであれば、結構無理してるんじゃないかなあ、と勝手に心配したりしなかったりする夜があったりなかったりします。体調も割かし頻繁に崩しているような印象がありますし、僕が言えた口では到底ありませんけれど、少しくらいゆっくりと休んでくれればいいな、と思います。何の事情も知らない部外者の一方的な意見です。つまりゴミです。

 前期はともかく後期が始まってからは顔を合わせることが少なかったような気がしています。と言ってもそれは某しまさんに限った話ではないのですけれど。たまたま一緒になった時には創作の話だとか音楽の話だとかを主にします。こういった話を、特に創作の話題を振ってくれる人はさほど多くはないので、僕としてはそれなりに嬉しい気持ちになります。まあ、後期に某しまさんと話したことで特に覚えているのは「弁当を余らせて廃棄するのってどう考えても無駄なんだけど、でも仕方のないことなんだよな」というやつなんですけれど。僕はそれがどうしようもないことだとはあまり思いませんが、だからといって現実的な反論ができるというわけでもないので何だかなという感じですね。はい。

 来年からはどうなるんでしょう。工学部といえば悪名高いあれがあるじゃないですか。研究室配属という名の流刑があるじゃないですか。ということは、会う機会がいま以上に減ったりするんでしょうかね。普段の口ぶりから察するにそんなことはなさそうな感じがしてはいるのですけれど、直接聞いたわけではないのでいまいち分かっていません。だったらどうなんだってことも別にないんですけれど。後期に全く話せなかったので少しアレだなというくらいです。アレ。

 某しまさんの書く文章はかなり丁寧で繊細だと僕は感じています。透明感があるっていうんですかね。さながら快晴の山頂で吸い込んだ空気の爽やかさみたく、描かれる何もかもが満遍なく透き通っているような雰囲気が少なからずあります。そんなにちゃんと読めていない自分がこういうことを言うのもあれですけれど、割と自分好みの文章を書く人だなと認識していたりしていなかったりします。こう、上手いんですよね、行間を埋めるのが。描画された風景の中にきちんと空気が存在していて、つまりキャラクターがちゃんと生きていて、呼吸をしていて、まるでその息遣いが今にも聞こえてくるような気がして、それがすげえなあと思っています。分かったら全人類早くこれを読め。な?

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 僕はコンテンツを食い散らかすだけの連中が頗る嫌いですが、自分の好きなものに対してどこまでも本気になることができる人のことは本当に尊敬しています。自分には出来ないことなので。そんな彼らのことをも一概に消費者と定義してしまうのは、だから些か失礼なように感じていて、何が言いたいかというと、生産者と消費者という分割はあまりに大雑把すぎるって話なんですよね。その二つは本来どちらかに振り切れるものではないし、どちらかを割り切れるものでもないし、要するに、どっちつかずが何よりも自然なんじゃないかと僕は思います。知ったような口で分かったようなことを言いました、ごめんなさい。強いて何者かになろうとする必要はないんじゃないか、って話がしたかったんです。好きだった何かを忘れずにいることが多分何よりも大切なのだと思います。

 

 

おますけ(@omasuke_anzu

 高校生の頃、僕はある種の幻想に取り憑かれていました。呪いとでも言いましょうか、そういう類の何かを強く信じていて、疑うことなんてまるでありませんでした。では、それはいったい何か? 

『京大生はみんな真面目。』

 そんな呪いの檻に囚われていた当時一回生の僕を見事その呪縛から解き放ってくれた人物、それこそがおますけさんなのでした。めでたしめでたし。

 ――って導入を思いついたままに書いてみたわけですけれど、これだと何だかおますけさんが不真面目って風に捉えられてしまいますよね。ごめんなさい、それは僕の落ち度です。まあたしかに大学に対してはあまり真面目でないかもしれませんけれど、それ以外の点では本当に真摯な方だと僕は思っています。これもまた僕個人の勝手な印象ですので、本人からしたら、いやそんなことはないよ、となるのかもしれませんけれど。

 向こうからすると恐らくそうではないであろうと予想されるのですが、僕の側からすると、後期が始まってから一緒にいた時間が長い人間ランキング第二位なんじゃないかと思います。ここ最近はymdルームで毎日のように顔を合わせていますし、おますけさんは例会参加率100%ですし、それにゼミやら何やらもありましたしね。おますけさんといるときは大体もう一人*3別の誰かがいて、その二人の会話を僕が盗み聞きするといった構造になっているので、僕がおますけさんと一対一で話したことは実はそんなに多くないんですけれど、でも、他の人に比べればこれでも圧倒的に多いんでしょうね。まあ下らないことばかりを話していた気がします。下らない、というと少しマイナスイメージがあるかもしれないので補足しておきますけれど、退屈という意味では全くありません。おますけさんはいつだって聞き手側を楽しませようとしてくれるので、これを退屈に感じる奴がもしいるとすればそれは間違いなくそいつの人間性に問題があります。

 おますけさんは多分めちゃくちゃに頭が良いんですよね。僕なんかよりずっと賢いのだろうなと、二言三言ほどの言葉を交しただけでそう感じさせられます。大学生にもなって頭脳の優劣で他人を測るのはあまりにも稚拙という気がしないではないのですが、そうと分かった上でも思わず考えてしまうくらいに強烈なのです。頭一つ抜けてる感じ。それと別に考えていることといえば、その人格をまったく嫌いになれない、ということがあります。僕は他人に対する好き嫌いの波が本当に激しくて、それはその誰かが悪いわけではなく僕個人の弱さ故なのですが、だから僕は近くにいる人間を手あたり次第一方的に呪うことが三ヶ月に一度くらいの頻度で実はあって、でもおますけさんだけは嫌いになれないんです。どういうわけか。どうしてなんでしょうね。分かりません。

 おますけさんの書く文章には、どちらかといえば漫画っぽいな、という印象を持っています。小説って大体は連続的に描かれてゆくもので、地の文から地の文への、あるいは会話文から会話文への変化は脳内においてさながら映画のように再生されるのが常なのですが、おますけさんの書く文章はといえば、紙面ないしは画面の上に描画されたそれらを順に追っていくと、なんと頭の中にはコマ割りされた漫画の一ページが浮かび上がってくるんですよね。それを拙さとみるか個性とみるかは人それぞれでしょうけれど、僕個人は、おもろいなー、と思っています。僕は以前まで連続的であることこそが小説における絶対的な正しさだと信じていたのですが、しかしこのこともあって最近はちょっと反省していたりしていなかったりします。漫画みたいな文章を書けと言われても、まあまず書けない。おますけさんはそれを地でやっているのですごい。本人がどう思っているかは別として。ところで、おますけさんの作品では『未来に吹く風』が一番好きなのですけれど、でもまだ公開されていないし次点で好きな『謎はやがて夢になる』を貼ろうかと思ったらそれもまだ公開されていませんでした。悲しい。

 偶然と偶然とが繋がって、そうして今この瞬間がある。ここへ至るまでのどこかで少しでも違った選択をしていたとしたら、いまは当たり前のように一緒に過ごしている誰かと一緒にいられなかったのかもしれない。そんなのは誰でも知っている当たり前の事なんですけれど、だからこそ、こういうことを一度くらいやってみたいと思ったというのはあります。何らかの巡りあわせでいまこうして同じ場所に立っているのだから、何も言わないままで過ごすのはあまりにも寂しいなという気がしたのです。僕はおますけさんのように自分を貫いて生きている人に出会えて本当に良かったなと思っています。まあ、これと同じような言葉を、並行世界の僕はおますけさんではない全く別の誰かへ伝えていることでしょうけれど、でも、きっとそういうものなんでしょうね。

 

 

カズラ(@_kazuraP

 理学部二回生にして他他共に認める唯一神。他称神。大学へは真面目に行っているし、何ならずっとゼミやってるし、めちゃくちゃ勉強してるっぽいし、サークルを掛け持ちしてるし、バイトも掛け持ちしてるらしいし、そのくせ毎月決まった日までにSSを一本書き上げよるし、並行で会誌用の作品もきちんと期日までに仕上げるし、編集も半分くらいやってくれてるし、いやもう何? って感じです。カズラ=シェイクスピア説というものが910の一部では実しやかに囁かれているのですが、その説は一考の余地があるんじゃないかな、と密かに疑っています。*4

 同じ理学部なので当たり前なんですけど、前後の授業で同じ教室だったりしてすれ違うことがまあまああるんですよね。そういう状況になったとき、カズラは高確率であまりにも脈絡が無さすぎる話をぶん投げてきます。知らないコンテンツのダイマがいきなり飛んできたりもしますし、漫才の導入かよって話がやってきたりもします。「どうでもいい話していい?」とカズラに話しかけられたら注意しましょう。このどこにでも転がっていそうなありふれた前振りから、しかし僕は親が倒れた話を聞くこととなりました。あとは、割と音楽の話をよくします。楽しい。カズラ一押しの曲は何というか外れがなくて、外れがないというよりはむしろ外れまくってるというか、少なくともチープではないものばかりという印象があります。ナナシスとかね。カズラが勧めてこなかったら、まあ一生出会わなかっただろうなあ。あとは最近だとthe cabsってバンドの話を聞きました。あの曲もかなりぶっ飛んでた。どこから拾ってくるんだよ、マジで。

 同じ理学部二回生だというのに僕が怠惰の限りを尽くしてモラトリアムを貪っている一方でカズラはめちゃくちゃに忙しそうで、例会の日以外に大学構外で会うことはあまりありません。誰かと話すのが好きだと言っている僕はいつもそうなのですが、その瞬間までに話したかった事なんて大体の場合は大してなくて、いま隣にいるというだけの理由で生まれる自然な会話を楽しんでいるという節があります。それ故、わざわざ誰かに会ってまで話したいとはあまり思わなくて*5、だからカズラとはめちゃくちゃに相性が悪いんですよ。しかも後期が始まってからの僕は例会後のアフターで二回生グループとは別の方へばかり動いていて*6、話す機会なんてそりゃあるわけないわって話です。カズラとの会話は暗中模索というか、そこから来るのかよ、みたいなドキドキ感が常にあって、しかもそれが半分癖みたくなっていて、だからもっと話す機会があればいいなとは思うんですけどね。カズラが書いたSSの話とかもできればしたいし、してほしいし。

 カズラの書く文章はこれでもかというくらいにリアリティで満ち満ちています。そこ一つで比較するとしたなら、910の中でカズラの右に出る人はいないんじゃないかと考えています。七つの大罪の一つとして怠惰が掲げられますように、どんな人間も多かれ少なかれ楽をしようとするものです。それが小学校の掃除時間ならば体育館裏でのサボり休憩になるのでしょうし、受験勉強ならば「これは出ないだろ」と高を括ることになるのでしょうし、文章を書くということにおいては細かな描写に拘り切らないということになるのだろうと思います。しかし。その点、カズラの文章はドヤバいのです。聞いたこともない服の名前が次から次へと出てくるし、酒のつまみにしても魚の名前を一言添えてあったり、調理の場面を簡潔ながらも必要十分に描写していたりするし、物体に対してだけでなく動作過程に対しての拘りもカズラは凄まじくて、人物の躍りに伴う手足の動きを緻密に書き表したり*7、中でも一番ヤバかったのは所謂ネイルアートを左手の小指に施すというたったそれだけの一場面を四千字近く使って描写していた作品です*8。ネイルのことなんて何も知らないのに、それでもその光景が容易に想像できてしまうほどでした。マジで気が狂う。想像するだに面倒過ぎて、自分にはとてもじゃないけれどできそうにありません。やべえよ、あいつは。そういうわけで、一般に公開されている中で特に好きな作品を貼ります。申し訳ないことに全部をちゃんと読めているわけではないのですが。

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 そう言えば、後期が始まってから交わしたカズラとの会話で記憶に残っているのは「煙草を吸う人の気持ちが少しだけ分かってきた」というやつでした。ほんの三十秒ほどの隙間を埋めるためだけの話題だったんですけどね。不思議なことに、ずっと忘れないまま。

 

 

θ(@shita_KU

 人間の頭というのは本当にどうでもいいことばかりを覚えているもので、僕が910に入ってから最初に会話した同回生は確か当時一回生だったθで、その内容はといえば「『想いはCarnaval』って曲中でカーニバルって歌ってるのに、曲名はカルナヴァルなんだよなあ」って感じだったと思います。だから何って話。

 その対象が誰であろうと僕が自分から他の誰かへ話しかけるのは結構稀なことで、それは先にも少し書いたように大して話したいことを持っていないからで、あとは多少の気恥ずかしさにもよるのですけれど、だから声をかけられない限りは話そうとしないんです。しないというか、出来ないというか、まあ僕と長くいる人はきっと知っていることでしょうけれど。そういうわけで、何かとこちらへ話を振ってくれる存在というのは本当に有難くて、それで言えばθの気配り上手さ加減には心底感服しています。こう、なんか退屈だなー、と思い始めて少し経ったくらいのタイミングでいつも話しかけてくれるんですよね。誰かと話したいと願いながらも誰かと話すのが致命的に下手な僕は、せっかく彼が投げてくれたボールを取り零してしまうことも多々あるように思うのですが、それでもθは何度だって笑いかけてくれて、そのことが堪らなく嬉しいんです。自分は他人の優しさに生かされているなあ、と最近よく思います。

 θとは色んな話をします。先述の通り、その九割以上は向こうが持ってきてくれたものなのですが、たとえば最近見つけた楽曲の話とか、たとえばオススメの映画の話とか、たとえばいつか遊んだゲームの話とか、本当に多種多様な切り口で微妙な隙間時間を埋めようとしてくれるので、こちらからは大して何も出来ないのにな、と申し訳なく感じていたりいなかったりします。僕は誰かが自分の好きなものについて語っているのを隣で聞くのが楽しくて仕方がない人間なのですが、θとの会話は特にその傾向が強いように感じています。つまり楽しくて仕方がないということです。そんなθが一回生当時からバンバン推してくるアイカツを、僕はそろそろいい加減に観るべきなんだろうなと思ってるんですけれどね。僕はといえば彼からの言葉を受け取ってばかりで、その実、何一つとして行動へ移せていないので、本当に申し訳が立たないという気になっているのです。クレカさえ作れば間違いなく全話試聴はするとは思うのですけれど、そのクレカが問題でして……。サンタさんへ、クレジットカードをください。

 θの書く物語は、結末に説得力があっていいなと思っています。恐らくはθの最新作であろう『郷の音』*9はその性質が著しくて、物語の構成要素間に隙が生じないようにしっかりと展開が組まれているように思うんですよね。構成作家が書いた台本っぽいという印象があります。王道的というか何というか、人によってはありきたりでつまらないと感じるのかもしれませんが、読者の期待をまるで裏切らないような話を構築することができるというのは結構すごいことだと思います。それはつまり、作中で発生する物事の原因と結果を正しく把握し、かつ最終目的の場面へ繋ぐための事象として最も自然なものをが選択できているということですし、文字書きたるもの目新しさを追求せよという言説が広くありますけれど、でも、そもそもありきたりな話の一つもちゃんと書けないような人間に読者全員を見事罠にかけるような話を書けるわけなんてなくて、その辺り、θは現時点で最強格だなあと思います。僕は何かを書いてる途中に思考があっちへ行ったりこっちへ行ったりとしてしまうので、これくらいスッとした話を一度は書いてみたいなと思いますね、本当に。θの作品で一番好きなのは、そういった理由から『郷の音』です。あの作品は何もかもがごく自然な流れに沿って緩やかに進行してゆくので、あの技量は本当に見習うべきだなと思っています。

 θがたまに不意打ちで教えてくれる感情を、一方の僕はいつだって気づいているくせに、しかしいつだって気づかなかったふりをします。そういうときにθは大体酔っていて、だからどこまで本気なんだろうなあという疑念がありますし、ただ単に恥ずかしいという感情もあって、でも、それ以上に堪らなく怖いんですよね。その言葉を飲みこむのが、です。吐き出す方がよっぽど怖いに違いないのに。僕もθのことはかなり好きです。決定的に違うなと感じる部分なんて数えきれないほどありますけれど、それでも一緒にいれたらいいと思いますし、もっと色んなことが話せたらいいなとも思っています。椎茸、遠いんですよね。でも、誘いがあればいつでも飛んでいくだろうと思うので、気が向いたときにでもまた誘ってください。とても喜びます。

 

 

セリウム(@Cerium_smsm

 現二回生群を代表する人間を一人挙げろと命じられれば、僕はセリウムを真っ先に挙げるに違いないだろうと思います*10。何らかの手違いで910の現代表は僕ということになっているのですが、しかし実際のところ僕は何もしていませんし*11、リーダーシップめいた何かがあるかといえばそれも無いし、だから、まとめ役ということであれば僕なんかよりもセリウムの方がずっと適役だと思うのです。というのも、セリウムは意識的に周りの流れを把握しつつ動いているような節があって、そしてそれは誰にでもできるようなことでは到底なくて、本当にやべえ能力なのです。いわゆる空気を読むというのやつとは少し違っていて、空気の流れそのものを読んで、時には流されたり時には操ったり、そういう選択を自分ですることができる人間だということです。僕は彼のことをそのように評価しています。本人がどう考えているかはさておき。

 恐らくは後期が始まってから最も会話が少ない同回生だろうと思います。麻雀大会でくらいしか話した記憶がありません。顔を合わせる機会が少なかったのかといえば、まあ多かったとは言いませんけれど、でもそんなこともないような気がするんですけどね。というかカズラと話す機会が少なかった理由と同様で、僕が他の二回生組と別の行動ばかり起こしていたせいなんですよね、間違いなく。ゴミ。そんなわけで思い出そうにも思い出せねえというのが正直なところです。この瞬間に至って初めて、いやマジで全然話してなかったな、と後悔の念に駆られたり駆られなかったりしています。だって、最後にちゃんと話したのって多分夏コミの入場待機列とかですよ。つら。

 セリウムに対して感じていることといえば、こいつすげえな、というやつがあります*12。カズラに対して抱いている尊敬の念と少しは似ているのですが、でも全く別の感情だと思います。行動力がヤバいんですよね、何にせよ。未知を拒むことなしに色んな所へ行っているというイメージがとても強いです。僕もその気質が若干あると自覚してはいるのですが、しかし僕は独りきりで楽しめるようなものばかりを追いかけていて、一方のセリウムは何でもかんでもとりあえずやってみるかみたいな感じで動いているという印象があります。そういう意味で行動力が凄いです。それに本人はああ言っていましたが、意志もそれなりに強い方だと思っています。僕に比べればという話なので大した指標にはならないかもしれませんし、そもそも彼の事なんて何も分かっちゃいない奴が勝手に言っていることですけれど。彼がラノベを書きたがっているということは前々から聞いていて、でもまさか現時点で三万字も書けているとは思っていませんでした。ツイッターとかでもその話を出さなくなったんで、書くのやめちゃったのかなあ、とか思ってたんですが。完成したら是非とも読んでみたいので、そのときの校正作業は是非とも僕にやらせてください。よろしくお願いします。三割冗談です。

 セリウムの書く作品を読むといつも、相変わらず透明感がやべえな、という気持ちになります。これは某しまさんの紹介部分で使った透明感とはまた違った意味としての透明感です。文章、音楽、絵、何にしてもそうなんですが、同じ人が作ったものをいくつか並べてみると、その人らしさみたいなものが何となく浮かび上がってくるものだと思うんですよ。田中秀和田中秀和だし、西尾維新西尾維新だし、アボガド6はアボガド6だし、他の作品のいくつかと照合することで何となく判断できるような、いわばその人に特有の手癖のようなものがあるんです、普通は。こいつならここにこんな和音を置く。こいつならここでこんな文章を書く。そんな感じの何かが。でも僕が勝手に思うに、セリウムの作品はそういった傾向が限りなくゼロに近いんですよね。類似性が皆無というか、たとえばセリウムが書いた作品のいくつかを順に読んでいったとして、全部を読み切った後にそれらの作者がすべて同一人物だとは到底思えないんじゃないか、そんな気がしてならないのです。作者の介入があまりにも希薄すぎる、という意味での透明感です。何てことないように思われるかもしれませんけれど、これって本当にすごい才能だと思うんですよね。音楽でいえば、たとえば神前暁*13なんかがやっているようなことです。意識的にせよ無意識的にせよ、自分の手癖みたいなものを作品内から消失させることができるということは、つまり意識次第では何者にもなることができるということで、こと創作という分野においては、その能力は最強の武器の一つになり得ると思うのです。キャラクターに真に寄り添った作品を生み出すことができるわけですから。それがセリウムの強みだと僕は思っています。そんなセリウムの作品群で僕が一番気に入っているのは『星梨花「試されている迷路の中」』です。会誌vol.06、あるいはStep to Stepが手元にある人は、そこに収録されているセリウムの作品を読んでから以下のリンクを開いてみてください。何も知らずに読んだとして、それらが同一人物の作品だと思えますか。僕は無理です。

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 僕も今日へ至るまで他の誰にも言ったことがないんですけれど、本気で小説を一本完成させてどこかの出版社がやっている公募へ投げてみたいと、実は後期が始まって一ヶ月ほど経った頃からずっと画策していました。まあNFが終わったくらいにようやっとその重い腰を上げて、いまは全体的な世界観みたいなものをぼんやりと少しずつアウトプットしていっているといった段階なんですけれど*14。僕がそのことへ思い至った最大の要因は別にあるのですが*15、しかし、最初にこのアイデアを僕へ与えてくれたのは実を言うとセリウムなのです。それこそさっき話していたことで、ラノベを書いてみたいといったことをセリウムが言っていたのがきっかけなんですよね。だから何だよって話なんですが、僕が言いたかったのは結局たった一言、応援してる、ってそれだけです。頑張ってほしいなと思います。他人事ながら。

 

 

西葛西(@WestKasaiKK

 対話というものはその場へ参加する人数が如何ほどであれ、およそ二種類の役割によって構築されるものだと思います。それはいわゆる話し手と聞き手というやつで、僕がほとんど大体の場合において聞き手であろうとするということは周知の事実かと思いますけれど、ともすれば僕が誰かと話そうと思ったならば、その相手には話し手の役割を暗に強要してしまうことになるというわけです。しかし、たとえば僕がそうであるように、どうしても話し手に回りたがらない人というのはやはり一定数存在するわけで、そんな相手と、では僕みたいなやつはどのようにして会話を行えばいいのでしょう。分かりますか。結論だけ書きます。無理です。

 そういうわけで、西葛西と僕とで長時間の対話が成立することはまずありません。一分以上の会話をした記憶がまるでないんですよ。ほんの少しだけのやり取りなら他の人と同じ程度にはしていると思うのですが。でも、かといってコミュニケーションを取ることが全くの不可能なのかといえば、そういうわけでもないとは一応考えているのです。というのも西葛西って例会へは様々な企画を、誰に言われるでもなく自発的に持ち込んでくれるじゃないですか。そういう意味で、僕なんかよりもずっと前へ出ている方だと思うんです。積極性があるって言うんですかね。だから、ダメなのは僕の側なのです、結局のところ。恐らく西葛西は訊けば自分の相手をしてくれるに違いないのに、最初の一歩を踏み出せていないのは僕の方で、話がしたいと願うのであれば自分から少しくらい歩み寄れよと、自分の事ながら他人の事のように思います。でもそれができたら苦労しねえって。

 人間の善性みたいなものを僕は未だに子どものように信じていて、つまり他の人も自分と同じくらいの「好き」を何かしら外部の対象へ向けているに違いないと信じているのですけれど、その感情は誰かと比較できるようなものでは到底ないにせよ、個人的な主観で言えば、西葛西は他の誰にも負けてないんじゃないかなという印象を僕は持っています*16。人間、何を食って生きてきたらこれほどまでに他の何かを好きになれるのだろう、という気になります。矢吹可奈への拘りにしてもそうですし、野球も鉄道も、僕は他人へ何かを好きでい続けることを望むくせに自分のことにはまるっきり鈍感で、要するに自分が何かを好きでい続けている実は自信が全くないのですけれど、だからこそ西葛西のあの偏執的なまでの姿勢を羨ましく感じる瞬間もあったりなかったりします。ああいうのも、あるいは一種の貪欲さと言うんでしょうかね。こう、成長の過程において真っ先に捨てられていくであろうものだと思うんですよ。好奇心とか、貪欲さとか、自分自身に誠実であろうとする自分自身、みたいなやつは。僕も小さい頃はそれなりに抱えていたような気がしているのですけれど、でも気がついたときには既にどこかで落としてしまっていて、そうして出来上がったいまの自分を酷くちっぽけな存在だと考える夜もしばしばあります。だから、西葛西のような人がただ其処に立っているという事実だけでも何だか嬉しくなるような瞬間が少なからずあるんです*17。彼が内に秘めている信念みたいなものに、僕がそれを直接見たことはほとんどないのですけれど、それでも確と宿っているに違いないその炎に、憧れにも似た感情を僕は有しています。もっと話す機会がほしいとは思ってるんですよ、本当に。あまりにも勿体ないというか、何を捨て置いてもまずあいつとこそ話をすべきだろ、みたいな気持ちはあるんです。言い訳がましいですが。しかし、そう思ってはいても僕の根っからの聞き手根性がなかなか言うことを聞いてくれないんですよね。はあ。

 西葛西の書く作品には、その中で本人が表現したかったのであろう何かがあまりにも明々白々としていて、それ故にど真ん中直球のステートメントが毎度毎度ものすごい勢いで飛び交っているような印象があります。そんな彼の作品の中で僕が最も気に入っているものはといえば『大好きだから、頑張れる』なのですけれど、これまでに頒布された会誌へ掲載されたSSの中から自分が特に好きなものを三作挙げろと言われたとすれば、僕はまず間違いなくこいつを挙げるのだろうと思います*18。めちゃくちゃいい作品だと思っています。自分には書けない。これを読んでいると、気取った比喩を書き連ねて満足している自分の顔面を思い切り殴りつけてやりたい衝動に駆られます。いや、マジで。文章力なんて大した武器じゃないという声が自分の中で微かに、それでいてはっきりとした呼吸をずっと繰り返していて、そいつが僕の右頬を殴ろうとするんですよね。こう、思いっきり、ガツンと。僕の創作観を突き詰めた末の終着点といえば、結局のところ、思い切り叫んでやりたくて仕方がなくて、だけど上手く言葉になってくれない声を、文章や、歌詞や、音や、そういったものへまで落とし込んで相手の心にまで届ける、ということに集約されるわけで、だから、それに伴う技術なんてものはあくまで技術でしかなくて、要は二の次だと思っている節があるんですよね。本当に大事なのは最初の声であって、技術があるに越したことはないけれど、でもそれは絶対的な基準にはなり得ないという思いがあります。『大好きだから、頑張れる』という作品は、文章力や展開構成などの点でまだまだ未熟だろうと感じる人が多いかもしれませんけれど、それでも僕は、たった一つのステートメントを最後まで全力で貫き通したこの作品のことを最大限評価したいと思っています。そういうわけで、『大好きだから、頑張れる』はこれまでに会誌へ収録された数々の作品の中で僕が最も好きな作品です。西葛西にはいつかまたこういう物語を書いてほしいなあ、と切に願っています。勿論、強要できることでは決してありませんけれど。

 

いの(@c_love_r_master

 これはオフレコでお願いしたいのですが、僕はここ最近いのさんのTwitterアカウントをアニメキャラクターの台詞botかなにかだと考えるようになっていて、というのも何だか流れてくるツイートのいちいちが世界冒険系のゲームで最終章へ突入するときのモノローグっぽく再生されるんですよね、僕の脳内だと*19。こう、やけにシリアスというか、真に迫っている*20というか、「あの人、今頃魔王城の前で旅の仲間たちとこれまでの想い出を語り合うやつでもやってんのかな」という気持ちで最近はいのさんのツイートを読んでいます。嘘です*21。実はめちゃくちゃ先輩なんですよね。回生の関係もあるのでしょうけれど、なんというか、普段の感覚があまりにも近すぎて僕はそのことをよく忘れてしまいます。よくない。

 そんないのさんのことを、しかし僕は全く知らないのですよね。十分によく知っていると言えるような相手なんてそもそも僕にはいないわけですけれど、それにしたって、いのさんのことはあまりに知らなさすぎるな、と思います。いのさんはよく自分のことを話しているような印象がありますけれど、失礼を承知で言うと何だかどれも嘘っぽいような気が僕はしていて、もう少し誠実な言葉を選べば本心から離れた場所にある言葉であるような気がしていて、だから僕はいのさんのことを本当に何一つだって知りません。最後にちゃんと話したのなんて多分夏休みのことですし、あの時にしたって僕はいのさんが本当のことを話しているとはあまり感じていませんでした。本音みたいな嘘の言葉でずっと自分を隠しているんじゃないか、みたいに考えることがあったりなかったりします*22。本人がどう思っているかは知りませんし、強いてその向こう側を覗きたいだなんてことは全くこれっぽっちも微塵も露ほども思いませんけれど。

 僕が910へ入ることに決めた要因の一つとして、実はいのさんの存在があります。この話はニ、三回ほどしているような気がしますけれど。話は昨年の四月、いまとなっては腐った林檎みたいな僕の目が未だ輝いていたあの頃へまで戻るのですが、どんなもんかと訪れてみた910プロの新歓で僕はいのさんと初めて出会ったわけです。時空が歪んでいる? まあそれは置いておいて、そこで僕は当時の代表と副代表の二人から色々と話を聞き、会誌を二冊ほど受け取り、それから歓談タイムが始まったという流れだったのですが、そこで一番話したのがたしかいのさんだったんですよね。音楽の、より正確にはアイマス曲のリミックスの話をしたように思います。当時の僕は文章を書くことに対して何の感情もなくて、無関心ではなく未だ知らずで、だから910プロは主に文章の創作サークルだと聞いた時に「なんか思ってたのと違うな」と考えていました、正直。そんな僕が、六月が目前に迫った頃になってようやく火曜放課後の文学部棟へ足を運ぶことにしたのは、いのさんの存在が少なからず影響していたように思います*23。音楽をやっている人もいるらしい。動機はそれだけで十分でした。あの新歓のときにいのさんがいなかったとすれば、あの日、僕が例会会場へ訪れていた確率は低かったんじゃないかといまでは思っています。大学へ来た頃の自分は音楽サークルへ入ることしか考えていなかったので。その点に関しては、いのさんに感謝していたりいなかったりします。もしも910へ来てなかったらどうなってただろうかなんて、今となってはとても想像がつきません。

 偶然ということであれば、910プロ誕生の話もそうですよね。僕はymdさんから凡その事情を聞いただけなので本当のところは何があったのか全く知りませんけれど、でも、その二人の出会いがあってよかったなと思います、本当に。いのさんというピース一つが欠けていたとしたら、いま手元にある人間関係は何一つだって存在しなかったのかもしれないという考えが一瞬過ぎっただけで、マジありがてえって気持ちになります。いやいや、冗談なんかじゃないですって。なりますよ、そりゃあ。僕だって人間です。怖いものは怖い。

 いのさんの書く文章は、完成度が非常に高いな、と思います。僕はやたらと文章に突っかかる人間で、というか躓いてしまう人間で、校正班で校正作業をやっているときには引っかかった部分に片っ端から突っ込んでいったりもするのですけれど*24、いのさんの文章ってどこもかしこもスーッとまるで自然に流れていくんですよね。そりゃまあ少なからず思うところがあったりもしますけれど、でも頻度はかなり低いように思います。僕が一時期口癖のように言っていた情報の連続性という視点だけで捉えるとすれば、正直最強格だと考えています。情報と情報とを繋ぐのが異様に上手いんですよね、多分。たとえば某作品*25の話をしますけれど、そこに書かれているある段落では、「人物Aが人物Bへ憧れを抱いている」という情報を「Bという人物がいて、Aとは主にこういった関係だ」、「世間的にBはこういったプラスイメージを持たれている」、「AはBに憧れているが、世間のそれとは異なる意味を宿している」という風に繋いでいっているんです。その構造があまりにも自然に読め過ぎて思わずスルーしてしまうんですが、これはしかしなかなかすごいことをやっていると思うんですよね。「憧れ」といった漠然とし過ぎている感情を、同系列の解り易い何かと対比することで説明しているわけです。しかもめちゃくちゃに自然な情報との対比で。どヤバい。自分には絶対に出来ない。いのさんの作品は会誌のと、それとさっき挙げた小冊子のものしか読めていないのですけれど、僕は『黄昏時の影は伸びて -序章-』が一番お気に入りです。他の作品と比べても一段と情報の流れが整っていると思います。いのさん曰く、この作品は全五十章*26から構成されているらしいなので、僕は第一章の公開を心待ちにしています*27。早よ続きかけや。

 

 

バンブー・ランス(@MrPhlogiston

 初めから一定度の関心を向けてはいたのですけれど、人付き合いの苦手な僕がいよいよバンブー・ランス個人に対して興味を持ち始めたのは、夏休みに行われたブログ回し企画において彼が最初に公開した記事『しょうらいの夢:巨大武装マンモス』を読んだ時でした。何を食ったらこんな文章を書けるんだ、と思いました。いや、本当に。でも、それ以上に面白くて面白くて仕方がなかったんですよね。それまでの910にここまで好戦的*28な人間はいませんでしたから、新しい風が来たなあ、とかありきたりな言葉を考えながら叡山電車の線路沿いを歩いたのこと夜を未だに覚えています。ymdさんも僕も、何かを生み出すという行為には一定の信念があって、だけどそれはどうやら同じ方を向いているというわけでもないらしいということに気づき始めたのがちょうど夏休みに入ってからのことで、だから、あの記事を読んで感じたことと言えば、これで三次元になったのか、ということだったんですよね。僕らとはまた違った意欲を抱えた奴がやってきた、という意味です。だから、これからはもっと面白くなっていくのだろうなという期待がどうしても拭えなくて、そして、そのこと自体が実に面白かったのです。

 バンブー・ランスの気配り能力もなかなかにすごいなあと、遠くにある太陽をぼんやりと眺めるような気持ちで思考を巡らせることが多々あります。僕は誰かと話すのが致命的に下手なので自分から会話を行うことはまずないのですけれど、一方のバンブー・ランスはといえば誰にも分け隔てなく接しているように、少なくとも僕の目からは映っています。こればっかりは誰からも同じように見られているんじゃないかなと思います。そのくせ、縁の下の力持ちって感じでもないんですよね。めっちゃ前に出てくる。すごい。自分には到底出来ないことばかりをこれほど当たり前のように熟す人間を未だかつて見たことがあったかな、という気にさえなります。助けられてるなあ、と思います。いや、本当にね。ありがとう。

 バンブー・ランスが書いたというSSを以前に読みました。そこにはアドカレの記事なんてとても比じゃないレベルの怪文が書き散らかされていて、なるほどなあ*29、という諦めにも似た何かに支配されたような思いになりました。何が面白いのか分からないけれどとにかく面白い、ってよく言われるじゃないですか。あれってもしかしてこういうことなのかなあ、みたいなことを考えてました。めちゃくちゃ個人的な願望があって、それが何かというと、普段そのままの勢いを落とし込んだ四コマ漫画的なサムシングを一度描いてみてほしいってことなんですよね。ただの私情なんですけれど。バンブー・ランスの思考回路に最も適合する道具って四コマ漫画とかなんじゃないかなあ、と密かに考えていて、なんかの機会に突然Twitterへ公開されたりしないかなあ、と思っています。割と本気です。

 ところで、バンブー・ランスの作る料理はめちゃくちゃに美味です。おいしいという意味です。しっていましたか? そういえば話は九億[rad]ほど変わるのですが、最近あまり一緒に例会後の晩飯へ行けていないような気がする*30ので、またそのうちにでも何かしら食べながら心底どうでもいい話がしたいな、と思っていたりいなかったりします。実は。よろしくおねがいします。

 

 

はるさん(@harusanP0312

 大分前から気づいてはいて、でもこちらから話題を振ることはまあなかったんですけれど、僕ら音ゲーマー同士なんですよね。と言っても僕はもうほとんど離れてしまったし、それに然程上手いわけでもなかったのですけれど、一応ほとんどの機種に手を出していたので最低限なら話が合いそうな気がします。ちなみに僕は結構なヨシタカオタクなのですが、彼の作った歌モノだと『Darling my LUV』とかが特に好きです*31。とてもいい曲なので、カップラーメンの待ち時間にでも聴いてみてください。

 僕は怠惰の体現者なので自分から誰かへ声をかけることがないんですよね*32。だから自明にはる君のことを何も知りません。俺はゴミだよ*33。だって知っていることといえば、一回生、経済学部、真担当、音ゲーマー、ポケカ勢、男性、くらいのものですよ。つまり、何も知りません。文章での創作をやってみたいとは思うけど、的なツイートを見かけたことがあるようなないような気がしなくもないのですが、しかし単に僕の見間違いである可能性の方が圧倒的に高いので、というか多分見間違いなので迂闊なことも言えません。そもそも、だから僕が自分から動かないせいで、はる君とまともに話せたのって後期に入ってしばらくしてからの事なんですよね。普通に考えて一回生の方からアクションが発生するわけがないので、こちらから働きかけるべきだったんですよね。過去の自分は愚かでした。いまも十分に愚かですが。もし大学構内で見かけたら思い切り殴ってくれて構いません。僕はゴミです、すみません。

 勝手に思っていることを書きます。これまでにも散々勝手に思っていることを思っているままに吐き出してきましたが、今まで以上に勝手に思っていることを書きます。人は他人を真に知ることなどできないとかそういうありがちな主張ではなく、通常の用法で、ごくありきたりな意味合いで、相手のことを何も知らない奴が言う言葉なので、そりゃもう勝手なことに決まっています。聞き流してください。なんとなく、自分と似てるなあ、と思うことがあります。いきなりそんなこと言われても気持ち悪いだけでしょうけれど、あくまで僕はそう考えているという話です。いやいやどこが似てんねん、というツッコミがありますよね。僕も思います、正直。類似点を挙げろと言われても咄嗟には出てきません。ちゃんと考えても全く出てきません。でも本当に、なんとなく、直感的にそう感じるんですよね。まあ、じゃあ実際どうなのかということは全く分からないわけで、恐らくは僕の勘違いなんでしょうけどね。

 もっといろんな話が出来ればいいと思っています。知らなさすぎるんですよね、あまりにも。知らないままでいられるならそれはそれでいいのでしょうけれど、しかし僕は周りにいる人間の話をむやみやたらに聞こうとする面倒な生物なので、他の誰かと会話することを望むのと同じように、はる君の話だって当然聞いてみたいと思っています。まー、何度も言うように僕は救いようのないゴミなので自分から動こうとはなかなかしないんですけどね。でも、そろそろ潮時かなとも思っています。流石にね。

 

 

しぶりん(@pika2ryo

 まだ中学生だった頃の話です。当時の僕は諸事情あって*34歯医者へ通っていたのですけれど、そこでの主治医の方が父親の大学時代の友人だったのです。偶然ではありません。友人の腕を見込んで僕を通わせていたようです。いつだったか、父親に車で迎えに来てもらった帰り道で、父親がこんな風の言葉を呟いていたのを覚えています。

「大学で過ごす四年間は、本当に色んな人間との出会いに恵まれる。楽しみにしておくといい」

 その言葉を馬鹿正直に信じて疑わなかった僕は、大学生活が始まってすぐの頃、同学部の一回生たちをとりあえずフォローしていく中で、どう考えてもあからさまに関わっちゃいけなさそうな人間とTwitter上とはいえ、しかし関わることとなってしまうわけです。

 しぶりんは良い奴です。めちゃくちゃに良い奴です。その生を以て性悪説を頭から否定できるほどに良い奴です。この地表に散りばめられたありとあらゆる善性を吸い集めて、温い水でゆっくりとドロドロに溶かして、それから赤ん坊の形にくり抜かれた鋳型へと優しく流し込んで、そうして生まれてきた新型の人類なんじゃないかと思うほどです。本当に良い奴です。どれだけ言葉を尽くしても足りません。彼と一緒の空間にいると、自分なんかで釣り合う相手では到底ないな、とよく思います。講義中、例会中、飲食店、帰り道、僕の家、どこで話していても思うことは同じです。良い奴過ぎる。僕がこういうことを言うと彼はいつも慌てて否定するのですけれど、でも彼の善性は僕が保障します。しぶりんは良い奴です。彼が良い奴でないとしたら、この世に良い奴なんて概念はそもそも存在しなかったということでしょうね。

 しぶりんがいなかったらどうなってたんだろう、と考えることが結構な頻度であります。大体の場合、それは自分が衰弱していることを、確信を以て認識できる夜のことです。まず間違いなく語学の単位は揃っていなかったと思います。あとは恐らく人社科目の単位も足りていなかったでしょうし、いま躍起になって履修している教職科目も、そもそも教員免許を取る事を目指そうとしなかったと思います。あるいは目指したとしても一瞬で諦めていたことでしょうね。僕は極度の面倒臭がりなので。そういう夜には、一回生後期の間が一番楽しかったな、みたいなことを考えるんですよね。その理由は明々白々で、一回生後期の間は毎週火曜日に一日中しぶりんと一緒にいられたからです。楽しかったんですよ、ああいう在り方が。二限の教室で集まって、食堂で昼ご飯を食べて、少し早めに三限の教室へ行って、四限で一度別れて、五限にまた合流して、それから例会へ行って、例会が終わったら一緒に帰る。なにも特別なことはしていないんですけどね。だからってまあ、今が何も楽しくないってわけでも全くないのですけれど、でも、心が弱っているときにはそんなことをついつい考えてしまいます。しぶりんに会いたい、と僕が言っているときには大体本気で会いたいと思っています。それと同時に、自分からは会いに行こうとしない辺り、本当に救いようがないなとも思っています。そんな僕の姿勢に、しかし彼は文句の一つも言わず、いつだってわざわざ会いに来てくれるんですよね。それがどれだけ嬉しい事かって話です。本当に。

 僕が自分から積極的に話を振ろうとするのは、しぶりんとymdさんくらいのものだと思います。しぶりんとは色んな話をします。大学に入ってから最も多く会話している相手の一人だと思います*35。その全部を記憶しているわけでは勿論ありませんけれど、たとえば電車と消火器の話をしたことを覚えています。電車が僕で、消火器がしぶりん。でもまあ、本当のことを言えば、そんなのはどうだっていいんですよね。電車がホームの何処へ停まろうが、消火器が大学構内の何処へ置かれていようが、その事実をわざわざ取り沙汰する必要なんてどこにも全くないんです。それでも、話す。次に日光を浴びるときにはすっかりと消えてなくなっている夢のように心底どうでもいい話ばかりを、真夜中の帰り道を二人で歩きながら話します。僕はその時間が楽しくて楽しくて仕方がありません。ところで僕は相手の顔を見ながら会話するのが大の苦手で、だから、たった数十センチしか離れていないはずの彼が、いったいどんな表情で返事をしているのかを確かめたことがありません。手を振って別れるときでさえ、後ろは見ないようにしています。おやすみと一言呟いたその瞬間にしぶりんも自分と同じことを考えてくれていたらいいな、と常日頃から願ってはいますけれど、でも怖いので確かめません。

 しぶりんの書く作品は、二次創作の理想形、だと思っています。もうすでに西葛西のところで随分と語ってしまったのですけれど、特に二次創作のみに絞り込むことを考えれば、しぶりんの書くような作品こそがきっと理想形に違いないと思うのです。どの口が言うんだ、という気が自分でもしますが、二次創作ってコンテンツないしはキャラクターへの拘りがあって初めて成立するものだと思います。愛と言い換えても構いません。ステートメントが重要であることに変わりはないのですけれど、その主張を二次創作に宿すための必然性みたいなものがあって然るべきなのだと思っています*36。だから僕はSSを書くという行為に対して、ここ最近は忌避感にも似た何かを抱いていました。これじゃわざわざ二次創作でする意味が無いだろ、と不意に思ってしまったんですよね。だからという接続詞が果たして正確なのかという気がしますけれど、こう、何て言うんですかね、二次創作って子どもの落書きみたいなものだと思うんですよ。ああだったらいい。こうだったらいい。あれがこうなっていたら面白い。もしもああなっていなかったらどうなっていたのだろう。そういう純粋な気持ちを誰かと共有するための空間だと思うんですよね、本来は。別にだからってそうじゃない作品を排斥したいというわけではなくて、だから、しぶりんの書くような作品が二次創作の理想形なんですよ、僕にとっては。文章の上手さだとか、ストーリーの面白さだとか、そんなことはお構いなしに、自分が本当に伝えたい事だけを最後まで手放さずにすべてを書き切る。それだけできっと何よりも価値のある事なのだと思います。『Missing memory』がめちゃくちゃ好きです。やりたいことをやってやったぜって感じが、たまらなく。

 しぶりんと出会えただけでも大学に来てよかったと思っています*37。言葉にすると何でも嘘っぽくなるというのが僕の持論ですけれど、でも、これだけは本当のことです。

 

 

ymd(@ymd104AAMS

 二十年余りの人生において、もしもこの人に出会ってなかったら自分はどうなっていたのだろうかなんてまるで意味のない反実仮想を、それでもつい真剣に考えてしまうような知り合いが三人ほどいます。一人は僕がよくブログで話題に挙げる彼です。一人はさっき上で挙げたしぶりんです。そして最後の一人がymdさんです。よろしくお願いします。

 僕を文章の世界へ引きずり込んだ張本人です。いまでこそ僕は思ったことをだらだらと文章に起こしてはブログへ投げたり何だったりとする癖がついていますけれど、じゃあ910に入っていなかったら今頃何をやっていたんだろう、という気持ちになります。ymdさんと出会ってなければ、多分こうはなっていなかったと思うんですよね。そりゃ勿論、元からそれを受け入れる土壌があったんだろ、と言われればその通りなのかもしれないですけれど。少なくとも文章による創作へ手を出そうとはしていなかったのではと思います。幸せなんですよね、いまは割と。自分を不幸の底の底へ沈めることもまあ多々ありますけれど、でもこれまでと比べれば遥かに幸福であるに違いないと思います。ymdさんが僕に教えてくれたのは結局、言葉を使って何かを表現することができる、という事実で、元々思考がパンクしがちだった自分にはそれが最高の施術だったのかなあと考えてもいます。こんな風なことは、みんな大なり小なり自分と同じように考えているんじゃないかなあ、とも思いますけれどね。だって、文章が書きたくてここへ来た人なんてほとんどいないはずなのに、でもこうやって未だに何かを作り続けようとしているわけですから。偶然と成り行きで今があるだけだと、また口を衝いたように言うのかもしれませんけれど、その過程はどうであれ、いま此処に僕が立っているのは確実にymdさんのおかげなのです。もっと自分自身を評価していいと思うんですよね。だって、相手に働きかけて何かを実現させようとするというのは、そこら辺の人間にできるようなことでは到底ないでしょうから。偶然だとか必然だとか、そんなことは神様だけが知っていればいいことで、だから僕らには関係ないんです。

 夏休み以降、僕が最も多くの言葉を交わした相手です。作り話の話。檸檬と架空の話。星座を隠した空の話。死んだような夜の話。水を殺す雑踏の話。生み出す意味についての話。道徳規則の話。いつか描いた落書きの話。使われなくなった線路の話。色んな場所で色んな話をしたように思います。最初は、具体的に夏休みが始まってしばらくの間は、自分とは全く違う考え方をする人だなと思っていました。僕はそれほど論理立った思考回路を有しているわけではなくて、つまり僕の方が一方的に劣っていて、一方のymdさんはといえば大人びた考えを有しているのだという印象が強くありました。様々な事象について深い思考を持っているのだな、と考えたり考えなかったりしていました。本当に同年齢かよ、と思ったこともしばしばあります、実は。夏休みが開けてしばらく経った頃には、なんだか似た者同士だな、と考えることが増えていました。言っていることは解るんですよね。思考のベクトルも食い違っているとはいえ、かといって完全に相反しているというわけでもなさそうで、だから、知ったような気持ちになっていたんですよね。知ったような気になっていたし、知ってくれているような気になっていました。心のどこかで。でもまあ、そんなことなかったな、と今では思っています。それでいいんですけれどね。

 僕の武器に名前をつけてくれた人です。それはいつかに話した形容詞ではありませんでしたけれど、でもそれと同じくらいに意味のあるものだと思っています。それを言った本人が果たしていまも記憶しているかは分かりませんけれど。そもそもの話、自分の能力に自覚的な人間ってそうそういないと思うのです。それは今回わざわざこんな記事を書こうと思い至った経緯の一つでもあるのですけれど。たとえばあの日に想像力というたった三文字の言葉を受け取っていなかったとしたら、少なくとも現時点でその視点を僕が持っていることはなかったのでしょうし、何ならそのまま一生を終えていた可能性まであるわけで、だから、僕はとても感謝をしているんですよね。口では絶対に言いませんけれども。ともすれば悲観的に捉えがちな自分の性質を肯定的に翻訳してくれる他者が、その存在が、自分にとってどれほど有難いかという話です。それと、文章力の話もしておこうと思います。どこまでを本気で言っていたのか僕には解りませんけれど、あのときymdさんの言ってくれた言葉が本当に嬉しかったんです。僕はymdさんこそが唯一の最強格だと思っていましたから*38、最初は、何言ってんだコイツ、という気持ちでしたけれど。もしもあの言葉がなかったとしたら、出版社の公募に挑戦してみたいだとか、そんな荒唐無稽なことは今頃思いつきすらしていなかったと思いますね。井の中の蛙は、まあ言われなくともって感じです。

 ymdさんの作品は、他の誰よりも限りなく完成形に近い、と思っています。これまでに各メンバーの綴る文章について思っていることを書き連ねてきましたけれど、でもやっぱり自分の中だとymdさんが最強なんですよね。ぶっちぎりで。自分の主張を物語へ落とし込むのが本当に上手いと思います。話がまとまってるんですよね。一貫性がある。θの最終進化形は多分こんな感じなのかなと思ったり思わなかったりします。これは実際に自分でも書いてみて分かったことなのですが、たった一つの声を伝えるためだけに何万文字もの言葉を重ねるのって想像以上の労力なんですよ。しかも途中でめちゃくちゃにブレます。書けば書くほどに色んなアイデアが浮かび上がってきて、そのせいで気がつけば迷子になっていたということも多々ありました。僕が会誌vol.06に出した作品はその辺りがてんでダメだったなと反省しているのですけれど、一方で同じく会誌vol.06には910会員なら誰もが知っている六万字超えの作品も収録されているわけで、それがymdさんの『透明のプリズム』です。最初読んだ時は本当に化け物か何かかと思いました。この作品をymdさんは、たった三人足らずの人物とたった一つの『緑色の空』というファクターを、それだけを使って六万字以上を書き切ってるんですよね。何やってんだよ。そして、それでいて結末の説得力がすごい。θの最終進化形と表現したのはここら辺の話が理由です。自分の主張を通すためにこれだけの言葉を紡ぐことのできる人が最強でないはずがないんですよね。そういうわけでymdさんは最強です。本人の目指している最強が果たしてどこにあるのか、僕はぼんやりとしか聞き及んでいませんけれど、でもいつかymdさんが心から納得できる日が来ればいいなと思います。ymdさんの作品の中で僕がいま一番気に入っているのは『ウェザーキャスト』です。いま、とわざわざ付けましたけれど、それは会誌を読み返すたびに好きな作品がころころと変わるからです。たとえば会誌vol.06を作る際に集まった原稿を初めて最初から最後まで通しで読んでからしばらくは『透明のプリズム』が一番好きでしたし。今でも勿論好きのままですけれど、あの作品に関しては、初めて最後まで読みきった瞬間に溢れかえった濁流の心地よさを今でも忘れられなくて、でもあの解放感はもう二度と味わえないんだよなという思いになるのがどこか悲しくて、何度も読み返すことを避けているというのがあります。実際、会誌vol.06が形になってから『透明のプリズム』だけを未だに最後までは読めていません。でも、流石にそろそろ読むか、と気になっています。半年近く空けましたし。

 春の訪れを望む夜が最近は少しだけ多くなりました。冬が一番好きな季節なんですけれど、でも、真冬の寒さは僕らが夜の空を見上げることを邪魔するじゃないですか。それが何だか恨めしいんですよね。理由なんかなくても会いたいと思います。何となく家の外へ出て、何となく川沿いを歩いて、何となくどうでもいいことを話して、意味のない言葉を繰り返して、それでもいいじゃないかと思うんです。檸檬の話です。架空の街へ爆弾を投げたくなる夜があるのなら、それと同じくらいに架空の空を絵具で彩る夜があればいいと僕は思います。どうですか?

 

あとがき

 まず弁明をさせてください。最初はこんなはずじゃなかったんですよ。そりゃ十一人分あるので一万は優に超えるだろうなとは思っていましたけれど、この段落を書いている時点で二万四千字もあるという事態は流石に想定していませんでした。つまりは想定外です。最初は一人当たり千五百字程度で書いていこうと思っていたんですよね。思ってはいました。でもまあ実際に書き出したら思うところがありすぎてそうはならなかったという感じです。下へ行くにつれてどんどん字数が増えているのはそういうことです。ごめんなさい。許して。ぶたないで。

 思っていることを思っているままに吐き出したので、読んでいてむず痒くなるような文章ばかりがきっと書かれていたことだろうと思います。分かりませんけど、でもそういう文章を書いたように思います。内面を吐き出した時点で仕事は終わりというスタンスなので、自分が書いた内容についてはほとんど読み返していません。わざわざ恥ずかしい思いをしたくもないですし。だから誤字等があっても許してください。ぶたないで。

 ちょっと真面目な話。

 人に何かを伝えたいという気持ちは忘れてはならないと思います。誰かがそういったことをつい最近どこかで書いていましたけれど、それは本当にその通りで、自分の主張を叫ぼうとしない人間というやつはずっと死んだままでいることと何ら変わりないように思えるのです。言う側も聞く側も相応に恥ずかしいことですし、それ以上に酷く怖いことでもありますけれど、お互いに見落としたふりをしたままで何もかもを終えるよりはずっといいでしょう。

 僕は絶好の聞き手でありたいと常々願っています。誰かの話を聞いて、咀嚼して、飲み込んで、そうでもしていないと生きていけない人間なのだという自覚があります。今日へ至るまで、そのために分け与えて貰った物語の断片は本当に数えきれないくらいあって、これっぽっちの文章じゃまだまだ足りないとは思うのですけれど、でもいまはこれが限界でした。力尽きた。ごめんなさい。またいつか気が向いたときにでも直接話そうと思います。だから、そのときにはまたそういう話をしましょう。心の底からどうでもよくて、馬鹿馬鹿しくて、結論なんて必要ない、すぐに溶けて消える綿飴みたいな話をしましょう。

  

 明日の記事はymdさん担当です。

 

 

 @70ykP

 

 

 

*1:マジで何の関係もない。

*2:joke.

*3:主に豆腐。

*4:ねえよ。

*5:そう思うことだってもちろんあるけれど。

*6:こればかりはマジで何の意図もない。強いて言うなら候補店の好き嫌い。

*7:頭がおかしい。

*8:『Step to Step』収録。

*9:『Step to Step』収録。

*10:次点でθ。

*11:本当に何もしていない。俺はゴミだよ。

*12:ここら辺で自分が如何に他人を肯定するための語彙を有していないかということを意識し始めた。

*13:アイマスでは『キラメキラリ』、『空』、『M@STERPIECE』、アイマス以外では『もってけ!セーラーふく』、『God Knows…』などの作編曲を担当。

*14:ブログにその断片がある。

*15:だから、最初に伝える相手はその人になるのかなとぼんやり考えていた。

*16:次点ですごいのは@pika2ryo。

*17:おますけさんに対して持っている感情もこれに近いような気がする。

*18:残り二つのうち一つは『Teenage Blue』。あと一つの候補はいくつかあって、気分で変わる。

*19:そこでのいのさんは主人公の勇者ポジ。

*20:ここで「芯に湿っている」という誤字をした。何語?

*21:嘘です。

*22:いのさんが大学を卒業して無事にアイドルデビューできたら、1stのカップリングに収録されるカバー曲の候補には『夜咄ディセイブ』を推したいと思います。僕のいのさんに対するイメージ、まんまこれ。

*23:あとは@pika2ryo

*24:だから終わらねえんだよ。

*25:四葉と爪弾く六弦の歌』。

*26:序章と終章含む。

*27:全五十章はただの虚言。

*28:諸説ある。

*29:悟った。

*30:麻雀大会とかNFとかでごたついてたからね。

*31:これは斜に構えた返答で『SHION』とかも普通に好き。

*32:何回言うんだよ。

*33:これはバンブー・ランスの記事から移った口癖

*34:具体的には前歯を一本へし折って。

*35:もう一人は言わずもがな。

*36:それがないからどうこうと言うつもりは全くありません。

*37:存在意義。

*38:今でもそう思っている。