靴
こんにちは、黄リンです。現在、迫りくるタスクから目を背けガールズ・イン・ザ・フロンティアをやっています。
ところで、みなさんは靴にこだわりはありますか?僕はありません。
なぜ急にそんなことを言い出したのかといいますと、先日実家に帰った時に母親に服と靴を買いにつれていかれたのですが、僕は服にも靴にも一切の興味がないんですね。だから全部母親に任せてきたのですが。服は人の目にどうしても入るので綺麗なものやかわいいもの、かっこいいものなど選びたくなる気持ちはわからなくもないのですが、僕は人に会ったときにわざわざ靴は見ないので靴にこだわる気持ちがわからないんですね。その辺のサイズの合ったものを見つけてこれでいいよ、というといつも母親からつまらん男やなと言われます。
いや、履けたらいいやん、と。自分の考える世界では靴なんて誰も気にしないから履けたら問題ないんや、と。
一応他の人と被りやすいという点で問題なくはないんですよね。幸い、実際に靴どっちかわからないみたいな状態に当事者としてなったことはないのですが、ふと目線を下げた時に自分と同じ靴が見えると「アッ」という気持ちになるんですよね。この気持ちがどこから来るのか、恥ずかしさからなのか、そうであればなぜ恥ずかしく感じるのか、不思議ですね。
気にしないといいながらやっぱり靴に気を配ってるのかもしれないと思う黄リンでした。
カーション:ファンタジー・フロム・アミユーズメント
どうもこんばんは。今日も卓球をしてきましたカズラです。今日は大会で少し体力が削れて頭の回転も遅いです。
最近美術館というものがとても好きになりました。ただ、この時にいう『美術館』はかなり大規模なものを指します、ごめんなさい。
というのも、昨年は瀬戸内方面に行く計画があり、倉敷の大原美術館に立ち寄ったのです。そこで初めて、きちんと生の近代美術を実感しました。
美術資料集とかだと分からない絵具の跡とかがはっきりわかるんですよ。自分はポール・シニャック氏の絵がとても好きなのでコチラを例に引き出したいのですが、彼は主に点描法を使っています。一点一点は小さく、目立たないのだろうかと先入観を持っていたのですが、全て大きく、ダイナミックに描かれていました。絵具が盛り上がってます。ホントに。
その他の方の作品も、よく観てみると筆の跡が見て取れます。それだけ近くで見れるの凄くないですか? 美術館。
そして、先日CG STAR LIVEを見に東京へ弾丸旅行したのですが、時間が余ったので上野の国立西洋美術館に行きました。
凄かった。
今回の推し絵はマリー=ガブリエル・カペ氏の『自画像』です。写真で撮ったんじゃないのか、というくらいにシルクの質感が感じられます。超美人です。実は割と盛ってるんじゃないかと疑っています。私は本気です。シニャック氏の絵画も一点見られて、本当にお腹いっぱいでした。LIVE前なのに。いやLIVEもめちゃくちゃ楽しみましたけども。
西洋美術館、一般展示だけなら大学生250円ですよ? アドすぎません?
是非行きましょうよ皆さん。とても楽しいです。
最近よく行くところとして映画館も挙げられます。
LIVEのLVもそうですが、映画を観るために映画館へ行くことも増えました。
とはいえ『君の名は。』と『リズと青い鳥』と『ペンギン・ハイウェイ』くらいしか観ていないのですが。
映画館で観る映画は、音響、椅子、スクリーンの大きさ、その他諸々がきちんと揃っているおかげでとても楽しめます。どうしても自室では物足りないし、興味がすぐにそれてしまいがちで楽しめないんです(個人差があります)。
ただ、観察しているところがフェチすぎてたまに友人からドン引きされます。部屋に置いている雑貨がどうとか、Tシャツの模様だとか。そいつらは何を見てるんだ(暴言)
思うにやっぱり環境って大事です。美術館も映画館も鑑賞に適した環境が整備されていて、そこにいてストレスを感じないように、興味が逸れないように工夫とかを施しているのだなーと。ちなみに美術館の環境づくりとしては、絵で想定された光源にできるだけ近い光を使っていることです。めちゃくちゃリアリティが出ます。
最近アロマも始めまして、バニラの香りがお気に入りです。今も書いている横で焚いています。ただ、買う時が一番難しいですよね。周りからの見た目とか。
買ってしまえばもう勝ちです。(何に?)思う存分香りを楽しみましょう。トリップしちゃえ。
バニラの香りが満ちた部屋で、名画のポストカードと映画の半券を床全体にばらまき、好きな音楽をかけながらベッドで眠ることができたならどれだけ幸せでしょう。
これ以上の幸せは望みません。
「非生産的だ」とどこかの誰かがいうかもしれませんが、知ったことかという態度で生きていきたいです。
うるせ~~~!!!!!!
知らね~~~~!!!!
FINAL FANT
ASY
マジ最後の酔狂。
記述をすっ飛ばしていますが、CG STAR LIVEはいいぞ。
めちゃくちゃ楽しかったです。
あそこに行って、Stage bye Stageの意味が少しわかった気がします。
ただ、地方民のためにせめて大阪でもやってほしいです……自分は交通費の問題上もう行けないでしょうから。とても悲しい。
行ける方は行った方が良いです。多分ですけど円盤とか出ないでしょうし。辛い。東京に住んでいたら何度も見に行けるのに。
あぁ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~もっかい行きたい。お金足りない。たまたま譲り受けた土地からたまたま純粋な石油湧かないかな。
杏奈語IA(文法)
※長いです(約9,000字)
望月杏奈のSSを書くにあたって望月杏奈の言語体系を自分なりに理解しておく必要があったので自分用にまとめたテキストを、せっかくだし色々追記してこの場で公開することにしました。
なお、本記事は「望月杏奈のSSを書く」ということを目的にしているので、そのために何かと都合のいいようにまとめていきます。そのため、これが絶対的に正しいという信念を伴った主張というわけではなく、あくまで「都合のいい」解釈であるということを断っておきます。
【注意】
GREE版ミリオンライブの親愛度セリフをバンバン引用しているので、ネタバレとかが嫌な人はブラウザバックしてください(グリマスは終わったしネタバレも何もって感じですけど)。
以降、節『Rule2について』の最後までは「ですます調」から「である調」へ変わります。
導入
・定義
1.「杏奈語的省略」とは助詞の省略であり、省略された助詞の代わりに読点または三点リーダが挿入されているものを指す。(※後述するが、ややこしいものがいくつかある。)
2.「杏奈語的省略」が行われることを、「杏奈語的に省略される」という。
杏奈語的省略について、以下に示す二つのRuleが考えられるというものが本記事の内容である。
Rule1:親愛度によらず助詞を省略する。どれを省略してどれを省略しないかには明確な区分がある。
Rule2:親愛度高めの台詞では省略の範囲がより広がる。
以下、この二つのRuleについて説明する。
なお、今後出てくる台詞の直後には括弧書きで台詞の出典を示してあるが、「(親愛度xxx)」としか書かれていないものが多数あることを述べておく(営業だったり何だったりは区別していない)。
Rule1について
この節に示す1から4の規定文では、特に断らない限り、親愛度が高めでない台詞を(つまりRule2の対象にならない台詞を)対象としている。
規定1.「は」は杏奈語的に省略される。
この省略は親愛度如何に関係なく発生する。
「杏奈…ダンスの振りつけ…考えてみたよ…。プロデューサーさん、見て…ほしい、な…」(親愛度700)
「杏奈、今日のお仕事…すごく楽しみにしてたよ。だ、だから…早く行こ…プロデューサーさん」(親愛度600)
「杏奈、服についてるウサ耳をさわるとホッとするの。プロデューサーさんもホッとして…いいよ?」(親愛度700)
「さっき…ファンレターもらったの。杏奈の歌、ちゃんと届いてるんだね…。すごく、うれしい…」(営業)
この四つはかなり分かりやすい杏奈語的省略である。「これは普通にやる省略では」という指摘があるかもしれないが、先述の通り、本記事ではSSを書くために都合のいいようにルール化していくため、定義に沿うものは基本的に「杏奈語的省略」とみなす。
「自己、アピール……? えっと……杏奈は、お話が苦手……。……けど、歌は、好き……。たくさんの人の前で歌うのは……ちょっと、恥ずかしい……。でも、みんな笑顔になってくれるから……杏奈のこと、見てくれるから……とても……好きだよ。……杏奈の歌、色んな人に届けられたら……いいな♪」(アピール)
「誕生日プレゼント? …んと、…ううん…新しいゲームソフトは、いらない。杏奈は…プロデューサーさんと一緒にいられるのが、一番うれしい…から。」(誕生日2014)
この二つは省略が起きていない。まあ、一つ目の方は省略していいと思うが、初期の台詞なので許容の範囲とする(これ以降にも触れるが、最初期の台詞はまともに相手をしていない)。
言語学的には、助詞「は」のことをtopic makerと呼ぶ(ソースは†東大†の日本語教育センター)。杏奈語的には、「は」で提示するtopicと主語が一致しているときには「は」を(ほぼ全部)省略し、「は」で提示するtopicと主語が一致しないときには「は」を省略しない傾向があるように思われる。
実際、先に示した例で杏奈語的省略が起きているものはいずれもtopicと主語が「杏奈」で一致する。一方で、誕生日プレゼントの話はtopicが「新しいゲームソフト」、主語が「杏奈」となり、両者が一致しない。
「イェーイ! みんなーっ! 今日は、杏奈の誕生日ライブに集まってくれて、ホントにありがと~! こーんなにたくさんの人達に祝ってもらえて、杏奈とっても幸せだよ~! 今日は、最高のステージにするからねーっ!」(誕生日2017)
一文目と三文目においてはtopicが「今日」、主語が「杏奈」なので、省略は起こらない。
二文目ではtopicと主語がともに「杏奈」なので「は」が日本語的に省略可能になる。
これはON杏奈の台詞なので読点も三点リーダもついていない。つけてもいいとは思うが、定義を無視すると話がややこしくなるので、これは杏奈語的省略ではないということにする。
「んと…プロデューサーさんと杏奈は最強のペアで…協力プレイも無敵、だから。
もっと、一緒にいられたら……いいな。」 (親愛度400)
「だから」という接続詞で二文を繋いでいるわけだが、主文(「だから」に続く文)の主語は「杏奈」であることを思えば、topicは「プロデューサーと杏奈」であり、両者は一致せず、省略は発生しない。
規定2.「が」は杏奈語的には省略されないが、日本語的には省略されることがある。
「普段は恥ずかしくて言えないけど、今ならビビッと言える気がする! 杏奈、プロデューサーさんのことが大好きだよ♪」(親愛度500)
「あの…国語の作文で……プロデューサーさんのこと、書いたよ…。「大切な人」ってテーマで…すぐに、顔が思い浮かんだんだ…。」(親愛度800)
「 ……びっくり、した。杏奈がトップアイドルなの、夢じゃないよね…? ……よかった。プロデューサーさん、ありがと……だよ♪」(トップアイドル)
実際に省略されていない台詞が上に示したもの。
探してみると「が」が省略されている場合もある。いくつか見てみよう。
「…………ん。ちょっと…おなかすいた……。おやつにしよ……?」(親愛度300)
これは一般的に発生しうる省略。読点も三点リーダも挿入されていないので、杏奈語的省略ではない。
「キャンプ…楽しい、ね…。杏奈…ワクワクして…目、覚めちゃった…。プロデューサーさん…あそこにあるの…月…? …下弦の、月……ん、キレイ…♪」(「朝明の月 望月杏奈」カードテキスト)
読点が挟まってはいるが、これは文章を読みやすくするための読点であって杏奈語的省略のサインではない(と考えた方が、都合がいい)。
「ひぁあああ!? ぷぷぷ、プロデューサー、さん…っ! …あ、杏奈の、手に…タコ…か、からまって…。コレ…ニュルニュル、って…杏奈、ダメ…ムリ、だよ…!」(「たこ焼き修行中! 望月杏奈」カードテキスト)
これはただ混乱してるだけ。
「ステージ、大きいと…いつもより、緊張する、けど…応援してくれる、みんなも…大きく感じる、ね…。杏奈…ビビッと…。頑張りま~すっ♪」(「THANK YOU for SMILE 望月杏奈」カードテキスト)
これは杏奈語的省略であると思われる……が、今回は例外であるとみなす(同用法のテキストが少ないため)。よって、SSを書く上では「が」は杏奈語的に省略されないものと考えてよい。
規定3.「に」は杏奈語的に省略されず、日本語的にもあまり省略されない。
「あ、ちょうちょ…。……プロデューサーさんの頭の上にとまった。……かわいい、ね?」 (親愛度400)
「プロデューサーさん杏奈の歌、みんなに届いてるかな?」(営業)
これらはそもそも日本語的にも省略されない。
「に」の省略が発生しているテキストとしては以下のようなものがある。
「あ…! あ、ありがと…あのね、杏奈ね…朝、目を覚ましてからずっと、プロデューサーさんのお誕生日おめでとうを楽しみにしてた…! うれしくて、フワフワする…。」(誕生日2014)
「えっと……、道、迷わないように……、手、ぎゅってしてい……ぃ…?」 (親愛度400)
一つ目は読点が挿入されてはいるが、これは文を読みやすくするためのものであり、あくまで一般的に行われる省略であると考える(例:「メルト」の唄い始め)。
二つ目の省略は一つ目と似たような構造をしているが、こちらはRule2による省略と考えた方が都合がよい(後述)。
規定4.「を」は杏奈語的には省略されないが、日本語的には省略されることがある。
「あ…! あ、ありがと…あのね、杏奈ね…朝、目を覚ましてからずっと、プロデューサーさんのお誕生日おめでとうを楽しみにしてた…! うれしくて、フワフワする…。」(誕生日2014)
「百合…じゃなくて、lilyknightさん。これからも一緒に王都と世界を護ろうね。 あと、レア装備のプレゼントも…ありがと、です…♪」(誕生日2015・百合子に対する返答)
「ジャジャ~ン、今日は音ゲーを持ってきたの! プロデューサーさん、一緒に遊ぼ~♪」(親愛度500)
「杏奈、服についてるウサ耳をさわるとホッとするの。プロデューサーさんもホッとして…いいよ?」(親愛度700)
「プロデューサーさん、杏奈を気づかってくれるけど…杏奈も、気づかいたい…。 あのね…無理はしちゃ、ダメ…なんだよ?」(親愛度600)
「を」の省略が発生しているテキストとしては以下のようなものがある。
「あ…えっと…。言いたいこと、いっぱいあったのに……、顔みたら、忘れちゃった……。」(親愛度200)
「杏奈、頑張れるから…。もっともっと、頑張るから……。だから、杏奈のこと見てて、ね…。」(親愛度900)
「…学校の宿題、むずかしい…。プロデューサーさん、杏奈のわからないところ教えてくれる…?」(あいさつ)
これらは読点も三点リーダも挿入されていないので杏奈語的省略ではなく日本語的省略である。
「……杏奈、14歳……。……歌、好きです……。あと……かわいいものも、好き……。……杏奈、まだ、何もできないけど……かわいいアイドルになるために、いっぱいがんばるから……プロデューサーさん……杏奈のこと……よろしく、です……」(自己紹介)
「自己、アピール……? えっと……杏奈は、お話が苦手……。……けど、歌は、好き……。たくさんの人の前で歌うのは……ちょっと、恥ずかしい……。でも、みんな笑顔になってくれるから……杏奈のこと、見てくれるから……とても……好きだよ。……杏奈の歌、色んな人に届けられたら……いいな♪」(アピール)
これらは例外的に杏奈語的省略でないとする(いずれも最初期の台詞)。
ところで、初期の台詞ではなく、かつ杏奈語的省略の定義を満たす「を」の省略がある。それは、たとえば以下のようなものである。
「もうちょっと……あと、ちょっといけるかなって、思うから。…杏奈の背中、支えてくれる……?」(親愛度800)
「プロデューサーさんがくれたメール…よく、読み返してる。杏奈の大切な、宝物…だよ。」(親愛度900)
「プロデューサーさん…怪獣さん、とってくれて、ありがとう…。杏奈…これ、欲しかったから…すごく、嬉しい…です。…大事に、する…ね」(「素直な笑顔 望月杏奈」カードテキスト)
これらはRule2による省略であると解釈する。
とりあえず、簡単のため、Rule2の外においては「を」の杏奈語的省略は起こらないものと規定しよう。
「あのね…杏奈…チョコ、作った…よ…。かわいく、ラッピングできた…から…みんなに、あげる…ね…。 …よろこんで…くれる、かな…すー…」(「あまいまどろみ 望月杏奈」カードテキスト)
ちなみに、これも杏奈語的省略の定義を満たすが、これは杏奈の寝言という設定なので例外的に扱う。
Rule2について
この節では、親愛度が高いと考えられるいくつかの台詞において、前節で示した四つの規定を超えた杏奈語的省略が行われることを確認する。
「あ、あのね……帰り道、暗くて…ちょっと、怖いから……手、つなぎたい、です…。ダメかな…。…いいの? …うれしい♪」(親愛度1000)
普通の言葉に戻すと「帰り道は暗くてちょっと怖いから、手をつなぎたいです」になる。topicは「帰り道」で主語は「杏奈」なのに「は」の省略が起きているので、これは規定1の例外にあたる。また、「を」を省略した部分に読点が入っているので、これも杏奈語的省略である。これは規定4の例外にあたる。
このように、親愛度が高めであると考えられる台詞では、四つの規定よりもさらに広い範囲で杏奈語的省略が行われるようになる。
「ふわふわしてて…かわいいケーキ…。杏奈、こういうの…好き。プロデューサーさんも、一緒に食べるよね…? …プロデューサーさんの分、杏奈、取ってあげる…。杏奈の分は…プロデューサーさん、食べさせて、ね…?」(誕生日2016)
普通の言葉に戻すと「プロデューサーさんの分は杏奈が取ってあげる。杏奈の分はプロデューサーさんが食べさせてね?」になる。これは規定2の例外にあたる。
「えっと……、道、迷わないように……、手、ぎゅってしてい……ぃ…?」(親愛度400)
規定3で引用した台詞である。普通の言葉に戻すと「えっと、道に迷わないように、手をぎゅってしていい?」になる。これは規定3の例外にあたる。
「杏奈…ダンスの振りつけ…考えてみたよ…。プロデューサーさん、見て…ほしい、な…」(親愛度700)
「杏奈、今日のお仕事…すごく楽しみにしてたよ。だ、だから…早く行こ…プロデューサーさん。」(親愛度600)
実はどちらも規定1で引用した台詞である。後半部分には親愛度が高めの台詞が続くことを思えば、その前置きである前半部分でRule2による杏奈語的省略が行われるのは自然である。これは規定4の例外にあたる。
また、一つ目の文章は規定3の例外でもある。
「プロデューサーさん、隣に座っていい? …ん、と……。杏奈、ココロの充電…ぴと。」(親愛度1000)
Rule2は「親愛度が高めの台詞では助詞の省略が加速する」というルールだったが、行きつくところまで行くと「杏奈、ココロの充電…ぴと」というもはや品詞分解不能な文章になる。
杏奈語的省略はどういうときに起きる?
さて、まとめに入ります。
規定1から規定4で述べたことを踏まえれば、親愛度の高低が絡んでこない台詞に限れば、杏奈語的省略を認めたのは規定1のみでした。つまり、常日頃から行われている杏奈語的省略は、topicと主語が一致する場合の「は」の省略のみです。
Rule2の節では、四つの規定を超えて杏奈語的省略が行われることを確認しました。
前者を広義の杏奈語的省略、後者を狭義の杏奈語的省略とします。
まとめるとこうなります。
・結論
①広義の杏奈語的省略は常に行われ、助詞「は」に対してのみ作用する。
②狭義の杏奈語的省略は「対象への好意を伝える台詞を発する」ときに行われる。
とりあえず、このことにさえ気をつけていれば望月杏奈というキャラクターを頭の中で動かすことはできそうです。
めでたしめでたし。
Real
と、まあこんな風にまとめてきたわけですけれど、ここらでいくつかのカードテキストを引用してみましょう。いまの僕たちは杏奈語における省略を大体理解しているといっても過言ではないはずですので、テキストを一見しただけでも「ああ、これはあのパターンだな」というのが分かるはずです!
「…聞こえる、ね…全国の…みんなの、声…。みんなの、想い…。…杏奈…これからも、頑張る…から…。…応援…、よろしく、ね…!」(「BELIEVE MY DREAM 望月杏奈」カードテキスト)
「…雨も、バスの待ち時間も…杏奈、好き、だよ。こうやって…ゲームで、みんなとお話するの。 …プロデューサーさんも、一緒に…チャット、しよ…?」(「雨でもコンティニュー 望月杏奈」カードテキスト)
「コート…すごく、あったかい、ね…♪ もふもふ、してて…ぎゅってすると、ぽかぽか…する…。…杏奈…、この服、好き、かも…♪」(「もふもふコート 望月杏奈」カードテキスト)
「…あ、杏奈…生身だと、HP…少ない…から…。…運動は…得意じゃない、です…。でも…スポーツの秋、だから…………頑張る…!」(「ミリオンオータムフェア 望月杏奈」カードテキスト)
……?
…………。
……………………??
なで?
ゲーム内のテキストとカードテキストとで、読点および三点リーダの数が圧倒的に違うんだけど……。どぼじて……?
一つ取り出してみましょう。
「コート…すごく、あったかい、ね…♪ もふもふ、してて…ぎゅってすると、ぽかぽか…する…。…杏奈…、この服、好き、かも…♪」(「もふもふコート 望月杏奈」カードテキスト)
普通の言葉に戻すと以下のようになります。
「(この)コートはすごくあったかいね。もふもふしてて、ぎゅってするとぽかぽかする。杏奈はこの服が好きかも」
一つ目の「は」の省略はtopicと主語が「コート」で一致しているので規定1に反しません。
二つ目の「は」の省略もtopicと主語が「杏奈」で一致するので問題ないですね。
最後の「が」の省略は規定2でも触れた一般的な省略です(「朝明の月 望月杏奈」のカードテキストです)。
ああ、何だ。問題ないじゃん! ちゃんと分かった!
って思うじゃないですか。
でも、駄目なんですよ。何が駄目かって?
こういう問題を考えてみましょう。
問:次の日本語を杏奈語訳しなさい(30点)
「このコートはすごくあったかいですね。もふもふしていて、ぎゅっとするとぽかぽかします。私はこの服が好きかもしれません」
とりあえず堅苦しい問題文を杏奈の言葉へ言い換えます。
「このコートはすごくあったかいね。もふもふしてて、ぎゅってするとぽかぽかする。杏奈はこの服が好きかも」
これくらいなら杏奈の台詞をいくつか読み込めば書けるようになると思うんですよ。しかし、それだけでは足りません。これを完全な杏奈語へ訳す必要があります。
では、実際に訳してみましょう。
まず広義の杏奈語的省略の法則に従います。すると、次のようになりますね。
「このコート、すごくあったかいね。もふもふしてて、ぎゅってするとぽかぽかする。杏奈、この服が好きかも」
次にこの台詞が「対象への好意を伝える台詞」かどうかを考えます。
まあ、違いますよね。
以上により、先の問題の答えはこうなります!
答:「このコート、すごくあったかいね。もふもふしてて、ぎゅってするとぽかぽかする。杏奈、この服が好きかも」
よっしゃ、百点満点の解答ができたぜ!
答え合わせしてみるか~。まあどうせ満点だろうけど笑。
えーっと、どれどれ……?
解:「(この)コート…すごく、あったかい、ね…♪ もふもふ、してて…ぎゅってすると、ぽかぽか…する…。…杏奈…、この服、好き、かも…♪」
なで?
どうすか、これ。
せいぜいもらえてお情けの1点くらいですよ。30点満点中の1点。浪人確定。鬱病。
そうなんですよ。
当たり前っちゃ当たり前なんですけれど、完璧な杏奈語を書こうと思ったら、杏奈語的省略の解釈だけじゃなく、杏奈語における読点および三点リーダの意味の解釈も必要になってくるんですよね。
「このコート…すごく、あったかい…ね。もふもふ…してて、ぎゅってすると…ぽかぽかする。杏奈…この服が、好き、かも…」
まあ書こうと思えば上ぐらいの台詞は書けるわけですよ。公式のと比べるとやっぱり見劣りはしますけど。たとえば、杏奈は「ね」や「してて(する)」の直前に読点および三点リーダを入れる傾向があるだとか、頭の中で再生してみて、夏川椎菜さんが望月杏奈の台詞を読んでいるときの感覚(間隔)にどれだけ近いかとか、そういうことを考えながら書けば。絶対に落としてはいけない杏奈語的省略(この場合は「は」のみを省略し読点や三点リーダを挟むこと)さえ拾っていれば、あとは感覚でやっても何とかそれっぽく見えるみたいなところはあります。ぶっちゃけ。
「…聞こえる、ね…全国の…みんなの、声…。みんなの、想い…。…杏奈…これからも、頑張る…から…。…応援…、よろしく、ね…!」(「BELIEVE MY DREAM 望月杏奈」カードテキスト)
でも、これはちょっと無理ですね。
ここでチェス盤をひっくり返すぜ
ここまでの話で完璧な杏奈語を作るのはまあ無理そうだなということが分かりました。
じゃあ杏奈のSS書くのは諦めるのかって話です。
答えはノーですよね。だって書きたいし。
そういうわけで、開き直ります。
そもそもカードテキストに比べてゲーム内テキストの方が読点や三点リーダが少ないという話を思い出しましょう。その理由を考えます。考えなくても分かりそうなもんですけど、考えるフリをします。……はい、もう分かりましたよね。
単純に読みにくいんですよ。読点と三点リーダが過剰に入った文章って。
それをテキスト主体のゲームでやるのはどないやねんって話ですね。あとは単に文字数を食うからというのもあるでしょうけれど、手軽さが求められるタイプのあのゲームで、ちゃんと読まないといけないようなテキストをメインで展開するわけにはいかないでしょう。カードテキストだと読点と三点リーダが多いのは、あちらは読もうと思っている人しか読まないからだと思います、多分(初期の台詞も三点リーダが大量にあったが、あれにはテキストと別にボイス版があった)。
開き直るというのはそういう意味で、完璧な杏奈語が書けないのなら、完璧じゃない杏奈語でもいいじゃない、って話です。だって僕らが書きたいのは、SSだから。完璧さよりも読みやすさを追求しましたって建前で、不完全な杏奈語に甘んじましょう。いや、甘んずるって言い方は良くないですね。望月杏奈という人格への理解を放棄したわけでは決してないんですよ、勘違いされそうですけど。何というか、致命的に間違えちゃいけない部分(杏奈語的省略)さえ正しくこなせれば、SSを書く上ではそんなに気にする必要ないんじゃないかなあ、と思った次第です(だから? って感じではある)。何かよく分からないところに落ち着いちゃったな。
まとめ
「あのね」がめちゃくちゃ多い(OFF杏奈)。
「ネトゲ」って言うんだな(OFF杏奈)。
文末の「しよ」「したい」「ね」の前には読点か三点リーダがほぼ確実に入る(OFF杏奈)。後ろにも入る。
文末でとってつけたように「…です」「、です…」と言うことがある(OFF杏奈)。
OFF杏奈ばっかり。
ちなみに、僕が一番好きなカードテキストは
「杏奈、小さいころ「ヘンゼルとグレーテル」に出てくるお菓子の家に、すっごくあこがれてたの…! このおっきなロリポップ、どこに飾ろうかな!?」(「ショコラハウス 望月杏奈」カードテキスト)
です。
みんなも杏奈のSSを書こうね。僕まだ書いてないけど。
一滴の狂気をはみ出させろ
優等生のなりそこないである自分にとって、「狂気」というものにはどうしようもなく抗いがたい魅力を感じる。人の期待に応えようだとか、こうすれば受けがいいだとか、そういったことを一切気にせず気の向くままに行動する。中途半端に枠に収まってしまい、人を満足させることもできないくせに大胆に動くこともできない、そんなところで止まってしまいたくない。
芸術性というのはきっとそういうところなのだろう。僕は、「アーティスト」にはなれていない。
理性の檻から、狂気を一滴でもいいから外に散らしたい。
@c_love_r_master
2.5%って単発SSRの確率より低いんやな
今日の担当は、無理を言って順番を変えてもらったおますけです。あと、デレ6thのシリアルが40枚中1枚しか当たらなくて咽び泣いているおますけです。家に積まれた『リトルリドル』の引き取り手を募集しています。
前回と前々回は社畜で忙θみたいなことを言ってたり言ってなかったりしたと思いますが、今は社畜から解放された自由の民となっています。小学生の夏休みが終わると、俺の夏休みが始まる。なんかそんなことを昨日いつはぺーに言った気がします。
でも、今になって考えれば、割と年中夏休みを生きてきたような気がするので、謎に自分の状況を悲観していたのはなんやねんと思っています。
何書こ。
そう思って、これまでにみんなが書いた記事を読み返しました。(これは嘘、思い出してみただけで読み返してはない。一回は読んでるので許してほしい)
そして、一つの感想を得た。
「みんなめっちゃ曲の事書いてるやん」
小学生並の感想。それしかないんか。
割とそれしかない。しいて言うなら、「よくそんなに考えられるなぁ」ぐらい。
自己分析として、そんなに曲に関して思うことはないと思っている。そら「この曲好きやなぁー」とか「これはそんなに」とかは思うけど、コード進行がどうとか歌唱力がどうとか歌詞がどうとか全くどうでもいい。もはや作曲者とかは道端の石ころと変わらない程度に思える(ここで刺される)
かといって歌詞を見てないわけではないし、音を聞いていないわけでもない。そこに価値をあまり感じていないというだけ。これが伝わってないと致命的なので補足します。
ただ、どうやら自分のような価値観を持つ人はマイノリティーのようで、周りの人たちはよく作曲家基準で曲を評価していたりするし、歌唱力基準でその曲の良し悪しを判断しているようです。すごい。
ただ、自分は曲に関してはこれまでもこれからも消費者であり続けると思うので、そんな基準を持ち合わせる必要はない、と考えています。そら、生産する人は必要やと思うけど、消費者がそこまでこだわる必要あるかと。そこまでの知識を持っても持て余してしまうだけのような気がするし、知らない方が楽なこともあるし、知りたいと思うほどの興味もないし。
じゃあお前は何を基準に曲を評価してんねん、と有識者の方々から問い詰められそうなので、一応ここで書いておきます。素人目線での話なので、どうでもいいやという人はイベントやガシャに時間を溶かしてください。そんなたいそうなことは書きません。
具体例を伴っていた方がいい(伝わりやすい)と思うので、挙げておきます。当然のことながら、自分の守備範囲からしか出せないので、知らなくても俺は知らん。聞いて感想とかもらっても特に返す言葉もないので聞きたい人は自己完結するような形で聞いてください。(といいつつ、聞いてくれたら喜ぶと思う。人間って単純。)
『創造は始まりの風を連れて(ミリ)』
『U・N・M・E・Iライブ(ミリ)』
『未来系ドリーマー(ミリ)』
『Princess Be Ambitious!!(ミリ)』
『スローライフ・ファンタジー(デレ)』
『私色ギフト(デレ)』
『日常デコレーション(ごちうさ)』
『さようならへさよなら!(μ‘s)』
『SUNNY DAY SONG(μ’s)』
『ススメ→トゥモロウ(μ‘s)』
『Cagayake!GIRLS(けいおん)』
こんな感じ。あと、「うぉーあいにーしんきんぐもんきーかしょうけん」はネタではなく普通にいい曲だと思っています。
挙げている曲のリストを見れば、わかる人にはなんとなくわかると思うのですが、基準は「誰の歌か」なんですよね。歌っている人が大事。
さらに言えば、「歌っている人の個性が存分に感じられる歌」が好きなんですかね。エモい音も表現も別にいいから個性欲しい人間なんでしょうね、知らんけど。
ところで、アイドルマスターシンデレラガールズから、五人のアイドル達の個性が存分に感じられるいい曲がついにリリースされたんですよ。
『THE IDOLM@STER CINDERELLA GIRLS STARLIGHT MASTER 20 リトルリドル』
っていう曲なんですけど聞きたくないですか? 今ならCDにアニメイト購入特典のクリアポスターもつけてタダであげるのでぜひもらってください。
上手いことまとまった気がするのでこの辺で終わります。
バンブー・ぜんぶ
はじめましてバンブー・ランスです。
バンブーは竹、ランスは槍という意味です。
しっていましたか?
よろしくおねがいします。
書くネタが思ったより沢山出てきたので全部書くことにしました。全員おれにひれ伏せ。
そんなわけでこんかいは3本立てです。
へやをあかるくして、はなれてみてね。
【整骨・アンストッパブル】
はじめましてバンブー・ランスです。
バンブーは竹、ランスは槍という意味です。
しっていましたか?
よろしくおねがいします。
一度整骨に行ってみたいという願いを前々から抱えている。これを生半可なものだと思ってほしくない。少なくとも1年前には抱えていた。おれのインディーズ時代(浪人生活のことです)は整骨願望と共にあった。
ではなぜそこまでして骨を整えたいのか。
それは単純で、整骨院、ひいてはそこにいる整体師に謎めいた神秘性を感じているからだ。
一見しただけで身体の不具合を見抜かれたい。
歩き方から内臓の疲れを看破してほしい。
バキボキと全身の骨を鳴らしてほしい。
「骨盤がずれてますね」と言って怪しげな矯正を施してほしいし、その後の体調の良さに感動したい。
そういった願望があるのだ。
ではなぜ行かないか。
ひとえに体内のインターネットに原因がある。
おれが生まれたときにはもうインターネットが普及していた。ワザップを傍らにゲームを進め、まとめサイトで電脳の息遣いを知り、匿名掲示板に根を貼ったおれの脳内にはミニマルなインターネットが構築されている。
「ワロス」「ksk」「キボンヌ」と鳴くインターネットは絶えずおれの行動を批判し、一抹のダサさを感じると即座に燃やしにかかる。
そもそも整骨院は疲れた人やケガ人が行くところではないのか。おまえに肩こりはあるか。腰痛は。ジャンパー膝は。
ない。ないのだ。
結局、なんだがよくわからない神技をこの身に受けたいだけなのだ。おれは。
こんな具合でおれは整骨院に誰よりも行きたく、誰よりも行けない。
矛盾を自覚し、文章に起こしてまで自己批判しても火が消えないのは、ひとえに熱意がとんでもないからである。
10年くらい経って慢性的な肩こりに苦しみ、大手を振るって整骨院のドアを開くまで、この苦悶は続くのだろう。
誰かおれを止めてみろ。
〜NEVER END〜
【運動音痴かく語りき】
はじめましてバンブー・ランスです。
バンブーは竹、ランスは槍という意味です。
しっていましたか?
よろしくおねがいします。
行くところに行けば病名がつくほどの運動音痴である。
身体が思ったように動かないのだ。
事前にアドバイスを貰っていても、いざ実行に移そうとするとあたまが真っ白になって全て消し飛んでしまう。
いままで20年ちかく生きてきたが、運動音痴は伴侶のようにずっとおれの側にいる。バレーでトスをすればあらぬ方向に飛ぶ。捕球をしようにも着地点がわからない。そういう人生だった。
寝るまえ一人座談会(みなさんもちゃんとこういうことをしていますか?)で散々議題に上がった末の結論を述べておく。おれは結局、人間の身体がどうやって動いているか知らないのだ。
たとえばおれの指はいま、けっこうな精妙さでキーボードをタッチしているが、「それはどうやって?」と言われると分からない。
ある意志が、どうやって身体的な実行に移されているかが、おれにとっては完全なブラックボックスであるのだ。
だからおれは「最後まで球を見ろ」「自分のフォームを意識しろ」といった具体的なアドバイスを貰っても実行に移せない。言語的な理解と肉体の操縦が全く接続されていないから。
ここで、高度に極まった運動音痴は日常にけっこうな支障をきたすことを知ってほしい。
カラオケとかボウリング、そういう初歩的な相互理解のツールにおいてもれなく大失敗するハメになるからだ。
言いたいことは尽きたのであとは個人的なレスキューです。こういう症状ってどこから治せば治るんですか???????
暗い気持ちになってきたので好きなカードを貼っておわりにします。
ロコはグッド…
〜END〜
【うんこ・文体・カラテ斥力】
はじめましてバンブー・ランスです。
バンブーは竹、ランスは槍という意味です。
しっていましたか?
よろしくおねがいします。
初手から最悪の例えを出してしまい申し訳ないが、普段の読書・鑑賞といったインプット活動を食事とするならば、そこから生まれるアウトプットは何にあたるか。
そう。
うんこである。
コーンをインプットしたら未消化のままアウトプットされることからも分かる通り、出力は何をどれだけ入力したかに依存する。
話題はすでにうんこから創作論へと遷移している。注意してほしい。目を逸らすな。
たとえば文体に注目しても、人が書く文章は普段読んでいるものの影響を多分に受ける。
それは小説や評論のようなしっかりしたフォーマットである必要すら無くて、ジョジョを読んで「じゃない」が「じゃあない」になったりするのも未消化コーン現象の一例だ。
ではおれにおけるコーンは何であるか。
最大コーンの一つに、ニンジャスレイヤーがある。
名前くらいは聞いたことがあるのではないか。Twitter上で連載されている大長編ネット小説だ。
ニンジャに惨殺された主人公フジキド・ケンジはニンジャスレイヤー(=ニンジャを殺すもの)として復活し、ニンジャを殺す。そういうはなしである。シンプル!
「翻訳小説(という体で)ある」ことと「絶えず140字の字数制限が課される」ことの相乗効果によって、きわめて高密度の意味圧縮に成功しているのが忍殺文体の魅力である。
説明がだるいので実例をみよ。
これを読んだ読者の思考をトレースしてみよう。文章から汲み取れる情報をリストアップするのだ。
・ニンジャスレイヤーとダークニンジャが闘っている。
・それをドモボーイ(ダークニンジャの部下?)が見ている。
・ダークニンジャの身体は通常ではない(0と1…データ化されている?)
・カラテ斥力
・カラテ斥力って何??????????
→普通の(われわれが知る)空手は斥力を生じない。
→→高度に発達したカラテ同士は斥力を生じうる?
→→→空手(現実世界)とカラテ(作中世界)は物理法則レベルで異なる。
→→→→カラテは世界観を構成するキーファクターなのでは?
→→→→それにしてもカラテ斥力って何??????????????????????????????????????
と、こんな具合である。
たった5文字の単語に状況説明を込め、世界観を込め、さらに一種のギャグとしても成立させている。
この極めて高度な情報圧縮技術には禅の精神すら見出せる。(ヒント:おれは禅がなんなのか全く理解していない)
ここまで熱弁しておいてなんだが、おれがその圧縮技術をマスターできているかと言うと否である。あなたは松坂牛を食べ、翌日排泄する。それに霜降りの風味はありますか?ないだろ。そういうことだ。
それでは。
(屋上に逃走。待機する1機のヘリコプター。)
(縄ばしごが垂れてくる。)
(颯爽とつかまるおれ。)
さらば諸君!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
(豆つぶのように小さく見えるヘリコプター。夕日に溶けていく。)
(こだまする高笑い。)
(あなたは何もできずにそれを眺め、ハンカチをムキーと噛みしめる。)
〜END〜