バンブー・ぜんぶ
はじめましてバンブー・ランスです。
バンブーは竹、ランスは槍という意味です。
しっていましたか?
よろしくおねがいします。
書くネタが思ったより沢山出てきたので全部書くことにしました。全員おれにひれ伏せ。
そんなわけでこんかいは3本立てです。
へやをあかるくして、はなれてみてね。
【整骨・アンストッパブル】
はじめましてバンブー・ランスです。
バンブーは竹、ランスは槍という意味です。
しっていましたか?
よろしくおねがいします。
一度整骨に行ってみたいという願いを前々から抱えている。これを生半可なものだと思ってほしくない。少なくとも1年前には抱えていた。おれのインディーズ時代(浪人生活のことです)は整骨願望と共にあった。
ではなぜそこまでして骨を整えたいのか。
それは単純で、整骨院、ひいてはそこにいる整体師に謎めいた神秘性を感じているからだ。
一見しただけで身体の不具合を見抜かれたい。
歩き方から内臓の疲れを看破してほしい。
バキボキと全身の骨を鳴らしてほしい。
「骨盤がずれてますね」と言って怪しげな矯正を施してほしいし、その後の体調の良さに感動したい。
そういった願望があるのだ。
ではなぜ行かないか。
ひとえに体内のインターネットに原因がある。
おれが生まれたときにはもうインターネットが普及していた。ワザップを傍らにゲームを進め、まとめサイトで電脳の息遣いを知り、匿名掲示板に根を貼ったおれの脳内にはミニマルなインターネットが構築されている。
「ワロス」「ksk」「キボンヌ」と鳴くインターネットは絶えずおれの行動を批判し、一抹のダサさを感じると即座に燃やしにかかる。
そもそも整骨院は疲れた人やケガ人が行くところではないのか。おまえに肩こりはあるか。腰痛は。ジャンパー膝は。
ない。ないのだ。
結局、なんだがよくわからない神技をこの身に受けたいだけなのだ。おれは。
こんな具合でおれは整骨院に誰よりも行きたく、誰よりも行けない。
矛盾を自覚し、文章に起こしてまで自己批判しても火が消えないのは、ひとえに熱意がとんでもないからである。
10年くらい経って慢性的な肩こりに苦しみ、大手を振るって整骨院のドアを開くまで、この苦悶は続くのだろう。
誰かおれを止めてみろ。
〜NEVER END〜
【運動音痴かく語りき】
はじめましてバンブー・ランスです。
バンブーは竹、ランスは槍という意味です。
しっていましたか?
よろしくおねがいします。
行くところに行けば病名がつくほどの運動音痴である。
身体が思ったように動かないのだ。
事前にアドバイスを貰っていても、いざ実行に移そうとするとあたまが真っ白になって全て消し飛んでしまう。
いままで20年ちかく生きてきたが、運動音痴は伴侶のようにずっとおれの側にいる。バレーでトスをすればあらぬ方向に飛ぶ。捕球をしようにも着地点がわからない。そういう人生だった。
寝るまえ一人座談会(みなさんもちゃんとこういうことをしていますか?)で散々議題に上がった末の結論を述べておく。おれは結局、人間の身体がどうやって動いているか知らないのだ。
たとえばおれの指はいま、けっこうな精妙さでキーボードをタッチしているが、「それはどうやって?」と言われると分からない。
ある意志が、どうやって身体的な実行に移されているかが、おれにとっては完全なブラックボックスであるのだ。
だからおれは「最後まで球を見ろ」「自分のフォームを意識しろ」といった具体的なアドバイスを貰っても実行に移せない。言語的な理解と肉体の操縦が全く接続されていないから。
ここで、高度に極まった運動音痴は日常にけっこうな支障をきたすことを知ってほしい。
カラオケとかボウリング、そういう初歩的な相互理解のツールにおいてもれなく大失敗するハメになるからだ。
言いたいことは尽きたのであとは個人的なレスキューです。こういう症状ってどこから治せば治るんですか???????
暗い気持ちになってきたので好きなカードを貼っておわりにします。
ロコはグッド…
〜END〜
【うんこ・文体・カラテ斥力】
はじめましてバンブー・ランスです。
バンブーは竹、ランスは槍という意味です。
しっていましたか?
よろしくおねがいします。
初手から最悪の例えを出してしまい申し訳ないが、普段の読書・鑑賞といったインプット活動を食事とするならば、そこから生まれるアウトプットは何にあたるか。
そう。
うんこである。
コーンをインプットしたら未消化のままアウトプットされることからも分かる通り、出力は何をどれだけ入力したかに依存する。
話題はすでにうんこから創作論へと遷移している。注意してほしい。目を逸らすな。
たとえば文体に注目しても、人が書く文章は普段読んでいるものの影響を多分に受ける。
それは小説や評論のようなしっかりしたフォーマットである必要すら無くて、ジョジョを読んで「じゃない」が「じゃあない」になったりするのも未消化コーン現象の一例だ。
ではおれにおけるコーンは何であるか。
最大コーンの一つに、ニンジャスレイヤーがある。
名前くらいは聞いたことがあるのではないか。Twitter上で連載されている大長編ネット小説だ。
ニンジャに惨殺された主人公フジキド・ケンジはニンジャスレイヤー(=ニンジャを殺すもの)として復活し、ニンジャを殺す。そういうはなしである。シンプル!
「翻訳小説(という体で)ある」ことと「絶えず140字の字数制限が課される」ことの相乗効果によって、きわめて高密度の意味圧縮に成功しているのが忍殺文体の魅力である。
説明がだるいので実例をみよ。
これを読んだ読者の思考をトレースしてみよう。文章から汲み取れる情報をリストアップするのだ。
・ニンジャスレイヤーとダークニンジャが闘っている。
・それをドモボーイ(ダークニンジャの部下?)が見ている。
・ダークニンジャの身体は通常ではない(0と1…データ化されている?)
・カラテ斥力
・カラテ斥力って何??????????
→普通の(われわれが知る)空手は斥力を生じない。
→→高度に発達したカラテ同士は斥力を生じうる?
→→→空手(現実世界)とカラテ(作中世界)は物理法則レベルで異なる。
→→→→カラテは世界観を構成するキーファクターなのでは?
→→→→それにしてもカラテ斥力って何??????????????????????????????????????
と、こんな具合である。
たった5文字の単語に状況説明を込め、世界観を込め、さらに一種のギャグとしても成立させている。
この極めて高度な情報圧縮技術には禅の精神すら見出せる。(ヒント:おれは禅がなんなのか全く理解していない)
ここまで熱弁しておいてなんだが、おれがその圧縮技術をマスターできているかと言うと否である。あなたは松坂牛を食べ、翌日排泄する。それに霜降りの風味はありますか?ないだろ。そういうことだ。
それでは。
(屋上に逃走。待機する1機のヘリコプター。)
(縄ばしごが垂れてくる。)
(颯爽とつかまるおれ。)
さらば諸君!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
(豆つぶのように小さく見えるヘリコプター。夕日に溶けていく。)
(こだまする高笑い。)
(あなたは何もできずにそれを眺め、ハンカチをムキーと噛みしめる。)
〜END〜