反対

最近思ったこと。


逆張りはたまに逆張るからこそ逆張りであるのであって、常に逆張るというのはもはや順張り。


当たり前。だから何という話。



教え子の小学生が、「反対の反対の反対の反対の反対の反対の反対の反対の反対の反対の反対の反対の反対の反対の反対の反対の反対の反対の反対の反対の反対の反対の反対の反対!!!」とか言ってるの思い出した。誰にでもあるよねそんな時期。僕はなかった。




ところで「反対」の対義語ってなんだ?


ちょっとググったら「賛成」って出てきた。んなことは幼稚園児でも言えるわ。

議論における「反対」は、ある主張や案に対して異議があるという意味だから、その対義語は「賛成」になる


じゃあ「対極にある」という漠然とした意味の「反対」の対義語ってなんなんだ?そもそも「対義」の意味が「反対の意味」だから、「反対」の「対義」を考えることってどうなんだろう。


「反対の反対」は元どおりである。少なくとも自分たちの日常生活においては。高次元空間の話は僕にはわからないので知らんよ。実数の範囲で、この意味での「反対」を表す簡単な方法は、「-1をかけること」or「逆数をとること」だと思う。0?お前は知らん。


なら、「反対」にとっては「反対」が同じ言葉でありつつ対義語でもあるのだろうか。まず対義語の定義ってなんだ。





酒飲んだ頭で考えることじゃないな。寝る。









以下不穏注意。












ここまでメモに書いて、今晩残り適当に埋めて投下しようとしてた。でもなんか知らんけどアドカレがだいぶ止まってたみたいで順番がくっしゃくしゃになってる。これは一体何月何日の何時に書いた記事として投下すればいいのだろうか。5分ぐらい考えて、あほくさって思って考えるのやめた。そもそもブログの記事の投下日時や時刻を操作できるシステム、意味わからんくないか?誰かが情報発信する際に二番目に大事な要素やろ(一番は内容)


まぁ内容が内容なので、正直日時なんてどうでもいいのかもしれないね。自分は毎日記事を読むのを楽しみにしている人々のうちの一人だ。1日に何記事も投下されるよりは、毎日1記事ずつ読むのが好きだ。たとえどんなしょーもない記事でもね。毎日続いてる事が大事なんだ。後々から日付調整で割り込み投稿したら、ぱっと見毎日続いてるように見えるかもしれないけど、それは僕にとって何の意味もない。記事を読むタイミングは投下された時だ。その読むタイミングが大事なんだよ。

別にクソみたいな内容でも文字に起こす気があるなら起こして投下すればいい。記事書くのに飽きたら次の人に飛ばしてと連絡入れればいい。まぁ忘れてただけなんだろうけどさ。自分から参加表明したならせめて、楽しみにしてる人の気持ちを踏みにじらないでくれ。


原稿の締め切りをギリギリまで引き伸ばして某神様に迷惑かけた僕が言える話じゃない気もするけど。


企画者の意図は僕は知らないのでここまでにしとく。なんか変に糞真面目な記事になってしまったけど別にマジギレしてるわけじゃないので。ごめんなさい。冬にやった時と同じこと繰り返してるし、一度言っておきたかっただけなんです。




最近心が狭くなってきてる気がするのは、人と顔を合わせて喋る機会が減ってるからだと思う。普段から面と向かって喋ってる人より、あまり会わない人や、全く会ったことのない人に対しての方が感情をぶつけやすいでしょ?炎上ツイートのリプ欄に湧いて出る動物たちを観察してる人はわかると思う。





真面目な記事が嫌いな人はご要望に添えず申し訳ないです。


みくは自分を曲げないので、日付はいじりません。


スマホから投稿するとたまに文字が大きくなるみたいです。強調してるわけじゃなくてなんかのバグなので後で修正しておきます。



2018年9月9日 17:53    某しま