時計のある生活

今回もまた、時間を操作して8/28にこの記事をねじ込むよ。

 

ーーまた?

 

……ごめんなさい。

 

ちょっとだけ自分語りをさせてほしい。

 

ーー言い訳してイイワケ?

 

知らん。でも僕は言い訳をするんだ。

僕は自分が信用できません。このアドカレだって前回投稿日に「次回担当は8/28だ」ってリマインドしておいた癖にすっかり忘れているんだもの。一体どうすればちゃんとリマインドした通りにできるんだ。これだから自分が嫌いになる。

 

以上。

 

ーーそんなわけがない。

 

本題。

 

今回の話。

人生、退屈ですか?

それとも、忙しくてしんどいですか?

 

ーーは?

 

人それぞれ、自分の人生について思うところはあるんじゃなかろうか。それで、今回はそんな人生と「時間」という概念を関係させて話してみるの。(別にポケダンをやってるから時空について考えているとかそういう話じゃない。もちろん、あれはあれで深いので考えてみるのも価値があると思うけどね。)

 

小学1年生の頃、腕時計を買ってもらった。

その頃、腕時計の価値なんていうのは、時間を知るというより、腕時計を持っているというステータス、なんとなく大人の仲間入りしたとかそういう類の価値だったと思う。

それじゃあ、腕時計を時間を知るという目的で使い始めたのはいつくらいだろうか。

おそらく小学4年生、電車で通塾するようになった時くらいからだろう。

そして大学生である現在に至るまで腕時計を時間を知る目的で使っているわけである。至極当然。

 

ところで。

 

昔の記憶、覚えていますか?

 

ーーなにを唐突に?

 

僕は、ほとんど覚えていません。姉上様とおもちゃを取り合って、おもちゃ箱の角に目尻をぶつけてヤバかったとか、海で女子大生のグループと一緒に遊んだとか、そんな話を親から聞かされたけれど、記憶にあるのか、と言われると全く記憶にない。

もちろん、大きな事件なんかは覚えていたりするのだけれど、日常のささいな出来事なんて覚えていない。

でも、そんな僕でも覚えていることがある。

例えば、さっき小学4年生から電車で通塾し始めたと話したが、その時に乗っていた電車は自宅最寄駅を16:31に発車して塾最寄駅に16:47に着く電車だった。

他にもある。

小学校の2時間目と3時間目の間の少し長い25分休みは10:25~10:50だったし、給食の時間は12:30~13:20だった。

中学、高校と登校するのに使っていた電車は6:54に発車していた。

 

ーーどうしてこんなに鮮明に覚えているの?

 

最近になってわかった気がする。

それは、その時間が自分にとって価値が高いものだからだ。

思い出してみれば確かに納得できた。

塾に通う前にはいつも友達と時間ぎりぎりまで遊んでいた。学校から帰って塾の支度をするのに2分、僕の足だと、自宅から駅まで走って7分、つまり16:20頃までは友達と遊べる。

25分休み、目いっぱい遊ぶために先生が延長しないか常に監視していた。3分延長した日には文句を言ったこともあった。

4時間目の時には早く給食にならないかずっと考えていた。時折、調理室から流れてくる温かい匂いに気が狂いそうになったこともあった。

 

つまり、その時の一分一秒に思い出が詰まっている。そしてその思い出が濃ければ濃いほど記憶に鮮明に残るのではなかろうか。

エモい。

 

ーーそれって時間と関係あるの?

 

多分。だって、最近僕、腕時計つけてないし。というか時間確認したこともないし。

 

ーーそれって、つまりさ

 

そう、僕は今退屈だよ。毎日が退屈。エブリデイのタイムにバリューがないの。

そういう生活をして、さっき話したことに気づいたんだ。

 

時間を確認する。

 

それはまさに今あなたが充実した生活を送れている証拠だよ。

 

ーーでもさ。熱中している時って充実してるけど時計見ないじゃん?

 

痛い。でも、多分長い目で見たら、あまり充実してなかったのかもしれないね。実際、ゲームは1日1時間って言われてたけど、毎日何時から何時までゲームしてたなんか覚えてないし。僕が言いたいのはもっと自分の人生を遠くから見た、あるいは神の視点から見た話なのかもしれない。

 

ーー結局どういうことなん?

 

あんまり自分でもまとまった考えが持てているわけじゃない。でも、時計を見ない時間ってのは価値の低い時間だし、時計を見る時間ってのは価値の高い時間なんだと思う。特に毎日が忙しい日本人は。

 

だから

 

今、毎日、退屈でこのどうしようもない生活を過ごしているのを何とかしたい。

 

終わり。

 

 

るみゃ