ネコになりたい。

今〜私の〜願ーいごとが〜叶ーうーなーらば〜♪

ネコになりたい。

 

少し補足がある。人間、それもできれば日本人の家で飼いネコになりたい。
理由は、特にないかもしれない。

 

例えばネコは食費の心配をしなくてよい。ヒト様の買い与えるものを従順に、時にはイヤという意思表示をして、食べればいい。捨てられても公園にたむろすればおじいさんおばあさんが餌をやりにくる。
ネコには知識の体系がないと思われる。複雑なコミュニケーション手段がなく、100年前のネコが遺した記録など現代のネコには雑草ほどの価値もないだろう。知識体系があるのはヒトの強みではあるが、「地球が丸い」ということがわからない世界も魅力的だ。世界が自分の発見に満ちている。そして自分の周りだけで閉じている。

 

理由もなく外へ行ける。コレも少し言い方が悪い。人間だって理由もなく出掛けることがある。
ネコであれば外に行くことに理由がいらない。「ネコだから」外に行くのは仕方ないと思われるのである。ヒトがネコから外へ出て行った理由を聞き出すことは現在ほぼ不可能だ。ネコが出て行くのに理由はいらない。
ヒトだとどうか。同居人がいれば、何も言わずに1人で外へ行こうとすると不審がられる。独り暮らしだと不審がる人間はいないが、長らく同居人がいる暮らしを続けた者、例えば私にとっては、出掛ける理由がないと不安である。リラックスするため、ぼんやりするため。そんな理由では心が納得しない。もっと有用な時間の使い方をしろ、と叱ってくる。有用な時間の使い方って何だ。人生を最大限に効率化しようと思えば今すぐ死ぬことだろう。
こんな時、ネコになれたら、と思うのである。憲法や法律で定められた義務も、理由を作り上げる大きい脳もないのである。羨ましい。このようなことを綴りながら「何と幼稚な夢だろう」と貶してくる頭の中の片割れのいないことが羨ましい。

 

嗚呼、ネコになりたい。

 

ところで、ヒトというものは「作話」をすることが数知れずある。

作話 - Wikipedia

例えば、(実験のソースは忘れたが)ある男性に2枚の女性の写真を同時に一瞬見せて伏せる。ここでは左を島村卯月、右を本田未央としよう。男性にどちらの方が好みか尋ねる。彼が左だ、と答えたら、あるトリックを使って左から未央の写真を取り出して見せる。このときに気付く人もいるにはいる。しかし、気付かない人も多い。
「選んだ子のどこが好みなんだい?」と問うと、「髪が外にピョンと跳ねているところだね」と答える輩までいる。最初に選んだのは卯月なので、明らかに彼女を選んだ理由にはなっていない。無意識に「理由をでっち上げている」のだ。無意識のうちに創作しているのである。

まぁ、だからといってこの話に大きな影響はない。私がネコになりたいのは事実である。

 

先日、伯母の飼うネコに会いに行った。可愛らしかったので撫でようと手を伸ばすと引っ掻かれた。伯母曰く、普段は大人しいらしい。
大学構内の野良猫も私を見ると逃げていく。
どうやら私はずいぶんとネコに嫌われているらしい。そういうとこやぞ。

 

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