「創ること」と「生きること」

「創作」という行為に、いったい自分は何を見出し、何を求めているのだろうか。恥ずかしながら、それを見失ったがために思うように創作がすすめられなくなる、という事態に見舞われることがここ半年ほど繰り返されている。SSであれば、「何を描き出したいか」「何のために書くのか」ということになる。大変申し訳ないことに今回の夏コミの会誌にも原稿を提出できず、自分は編集のみの参加となった。

月並みな言葉で片づければ、「スランプ」というものである。色々な創作ジャンルにおいて、自分も幾度となく経験してきたスランプであるが、今回のように半年ほどにもわたってろくに作品を完成させられないという事態は初めてであり、対処に困っていたのが正直なところだ。

そこで先日の会話において気付いたのが、冒頭に述べた通りのことだ。特に、「二次創作」という枠にとらわれすぎていた。自分は元来、「オリジナル」畑の出なのだから、自分の「創作」の根源は間違いなくそこにある。そっちのほうが動機としても強いのは想像に難くない。残念ながら自分はキャラ愛だけで動けるほどの情熱的な愛を能動的な方面に持ち合わせていないのでなおさらだ。冷めている、というわけではなく、キャラ愛が創作動機へと直結はしていない、というくらいの意味でとらえておいていただいたほうが誤解は少ないか。であるにもかかわらず、「二次創作はキャラありき」のような考えを創作の中心に据えてしまっていたからだろうか。結果として「君は〇〇が好きなんだな」以外のことが何も伝わってこない文章が出力されてしまうことに、長らく頭を抱えていた。そこがすっきりしたので、きっとそろそろ創作を再開できるようになると期待している。

「作品に残す」という行為は言ってしまえば一方通行のコミュニケーションのようなもので、つまるところ「ものすごくエゴイスティックな行為」なのだから、「何を伝えたいのか」「どうすれば伝わりやすいか」を今一度しっかりと見つめ直そうと思う。中途半端に何かに媚びるのではなく、胸を張ったエゴイスティックこそが、誰かしらの心に響くと、もう少し人を信じてみようと思う。

 

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