何かを考えているふりをしてみた。

おはようございます。ぼーしまです。ええ、ぼーしまです。決して誤字ではありません。
昨晩は雪が降り、今朝は肌を刺すような寒さですね。ただいまの時刻は午前6:00。布団から出たくなくて、原稿を書くことにしました。これからつらつら考えてみたことを書き連ねようと思います。長文注意。


………とは言ったものの何を語ればいいのかわからない。
何でもいいよ、と言われると、余計に何も思いつかなくなる。よくある話だ。この場合の「何でも」というのは、英訳するとanythingではなくsomethingだ。「常識の範囲内で」という条件がついているのだ。さらに今回の「何でも」はsomethingのあとにinterestingの形容詞が付いている気がする。他人の作品がよく見えるというのは小学生の図画工作の作品発表の時から多くの人が感じてるのではないかと勝手に思っているのだが、まさに今それを感じている。やはり他人の作品は個性豊かで面白く見える。自分も面白い作品を出さねばならぬ、そうやって自分を縛り上げてうんうんアイデアを捻り出そうとするのは楽しい一面がある一方、自意識過剰でとても滑稽にも思う。自分が読者に楽しんでもらえるような面白い話をできると思ってるのか。こうやって言うと、自己卑下をすることは失敗の言い訳を作っているだけで逃げだと言う意見が飛んでくるが、だからと言って自信過剰でばかりいていいわけではないだろう。時に頭を冷やして思考することは大事であり、自己卑下はその道具に他ならない。自己卑下をしてる奴でも、いつも自己卑下してるわけではなく、自分のネタがウケると嬉しくなり得意げになる。時には自分語りしたくもなる。何事にもバランスは大事だ。などと言って自分に都合のいい言い訳を作り出し、自分を正当化して今を生きている。人間とは都合のいい生き物である。

何でもいいというのは難しい言葉である。対象のものに関するものなら何でも興味を持てるというプラスの意味で使われることがある一方で、対象のものと自分には関わりがないし興味がないので何をやってようと構わないというマイナスの意味で使われることもある。当たり前のことではあるが、何気ない会話において必要以上に相手の心を抉ってしまうことがあるのは、自分が何気なく使っている言葉を、相手の立場や状況から聞くとどう感じるのか、普段はそれをそこまで深く考えずに言葉を発しているからである。口は災いの元、とはよく言ったものである。ただ一方で、会話をする以上は、話す側に聞く側の立場や気持ちを考える努力をする必要がある以上聞く側には話す側の意図を汲み取る努力をする必要がある。それがコミュニケーションである。

この頃周りにもよく言っているが、自分は何かを考えるには頭の演算領域が足りていない。他人が物事を考え理解するのに必要な時間の4〜5倍はかかってしまう。当然高校でも大学でも講義についていけたことは一度もない。議論の時も、人と話しているうちにだんだんと自分の言いたいことがわかってくるというのがいつものパターンだ。演算領域が足りてない自分には、自分の演算領域に加えて相手の演算領域を使わせてもらう「他人との会話」が不可欠である。当然自分と相手の演算領域にセッティングされているプログラムは違うわけで、同じ問題を与えても出る答えは違う。ただ、自分の既存のプログラムから導き出されない答えを知ることは、自分一人ではとても困難であり、労力がかかる。答えがあるかすらわからない問題を考える時、様々な答えを知るためには、他人の演算領域を利用させてもらうことがとても有効である。しかも、他人の答えに触れることは楽しい。染まりやすい性格だ、と言われることがあるが、それはわざとである。その人と色々な話をし、問いを投げかけ、その人の演算領域のプログラムをできるだけ知って、できるかぎりコピーして、実際にその考え方に沿って行動してみれば、その人をよく知ることができる。気に入った考え方があれば取り入れればいいし、気に入らないところがあれば削除すればいい。一旦相手の考え方をコピーして別のワークスペースに置いた上で作業すれば、相手へ人格攻撃をする恐れもなく、自分の本体を曲げることもなく、相手を知ることができる。相手との壁は壊さず、乗り越えず、まるで赤ちゃんの様子を超音波で探知するかのごとく、相手を知ろうとする。自分は割といい方法なのではと勝手に思っている。

結局、起き抜けの頭でつらつらと考えていることをそのまま文字の羅列に置き換えてみただけの文が出来上がってしまった。推敲や校正をする気もないし、何が言いたかったのかは自分にもわからない。話の流れもめちゃくちゃで、すぐ脱線している。文章構成としては0点である。これでも高校生に現代文を教えているというから笑ってしまう。長々とここまでお付き合いいただいた方には申し訳ない。次書くことがあれば今度は、山の話とか、冬が好きという話とか、してみようかな、とか。考えているだけなので、言質は取られないように一応予防線を張っておこうという意図が丸見えである。

ところで、この頃自分は破壊衝動が普段より高ぶっているようで、何かと破茶滅茶にしてしまいたい欲が時々出てしまう。というわけで最後に言わせていただきたい。















あ"い"こ"ち"ゃ"ん"か"わ"い"い"