人生攻略wiki

こんばんは。遠い田舎から失礼します。某しまです。

コミケ宣伝は前日の西葛西君がやってくれているので、そちら参照で。

 

 

自分語りします。

 

この手の記事が嫌な人はこのブログに近寄ることなんてないだろうし、今更断り文句もいらないか。

燃え盛る炎に魅せられた虫は死ぬなんぞ思わずに炎の中へ飛び込んでしまったのだろうが、危機を認知したうえで飛び込んでくる輩は救いようがない。

この世の中、そういう輩に対してゴ〇ブリホイホイを仕掛ける輩がいるが、罠にかけて喜んでるだけじゃなくて最終処分までしっかりやれ。燃やして遊ぶのすら目障りだけど、そこは譲ろう。せめて遊んだら片づけまでしっかりやれ。マミーに教わらなかったのか?

 

 

 

さて、本題。

昨日、「アイドルマスターシャイニーカラーズ」を始めた。

 

最初始めたときはwikiとか見ながらやろうと思ったのだが、

「自力で攻略法を見つけてみるのも面白いかもしれないよ」

と僕の中の悪魔がささやいたので、wiki見ずに始めた。

 

 

1時間後、ベッドの上には攻略サイトを読み漁っている僕がいた。

 

 

僕は、ゲームを攻略法を見つけるということに対して全然興味がない。

そこら辺のプロ達が死ぬほど時間費やして作ってくれた攻略法が存在しているのに、どうしてそれを1からわざわざ自分で作り直そうとするのか、僕には全く理解できない。

だって、攻略法みてやれば、運要素を除いてすべて上手くいくんでしょう?

アイテムの落ちている場所も、イベントを踏む順番も、選択肢の先も、全部わかっているんでしょう?

だったら答えを見ながらやって、運要素をできるだけ減らすのが効率的だ。

自分で1から検証するのは時間の無駄でしかない。

そうやってすべて効率的に進めた結果、2~3日で面白いところは大体終え、作業ゲーだけが残る。例えばレベリングとかね。んで、1週間ぐらいで飽きてやらなくなる。

運要素が強すぎるとそれはそれで粘るのに飽きてやめる。

こうなることはわかりきっているから、僕はゲームを買わない。

 

 

とか言うとゲームが好きな方たちに夜道で刺されそうだから弁明しておく。

自分で攻略するのが楽しみってのは、1つの考え方としてすごく理解できる。

それがゲームというものの醍醐味なんだろうというのもなんとなくわかる。

しかし、僕がゲームに楽しみを求めるとしたら、それは最高効率で攻略を進めていく自分に酔う事なのかもしれない。

僕はこういうつまらない人間なんだ。

 

 

さて、僕は今日、「りゅうおうのおしごと!」の最新刊を読んだ。

天衣ちゃんが可愛すぎてまあしんどい。踏まれたい。

まあそんなことはどうでもいい。

 

数多くの物語の主人公たちは、世界や姫を救う、恋を成就させる、など、各々の目的のために日々努力をする。

アイドルはトップをめざして日々努力する。

あいちゃんや天衣ちゃんはタイトル目指して将棋を一生懸命指す。

彼らには、夢中になれるものや譲れない目標があり、それに対して努力を惜しまない。

 

自分は何かに夢中になったことはあるだろうか。

瞬間最大風速はもしかしたら引けを取らないのかもしれないが、年単位、さらには人生単位で夢中になったことなんてない。

続けていたことはあっても、ただ漫然と毎日のタスクとして処理していただけで、そのタスク自体に夢中になり続けたことなんてない。

そんなものがもし自分にあったなら、さぞ自分の人生は生産性の高い充実したものになっていただろう。

 

 

先も言ったように、僕はゲームが嫌いだ。

特に、手持ちの知識だけでは判断できず、試行回数や運に頼って進めるものは嫌いだ。

試行回数を積むことすら許されない人生は本当にクソゲーだと思っている。

小中高と、「いい学歴を持てば人生上手くいく」という言葉をあまりに周りが口にするものだから、人生ってゲームは「勉強」のステータスにPtを振りまくればなんやかんやできれいにTRUE ENDにたどり着くんだろう、と楽観的に思っていた。

当然、そんなことはなかった。

ただ単に運で選ぶ選択肢のパネルが増えただけだった。

選択肢が増えることをいいことだという人がいるが、それは人生や自分に関する十分な知見を持ち、どのルートを選べば自分が幸せになれるのかわかっている人の言い分だ。

自分で攻略した挙句、多くの他人の人生という攻略wikiを読み漁った立場だからそういうことが言える。

特技という特殊スキルもろくに取得しておらず、だからといって勉強に極振りなわけでもなく、中途半端に色々Ptを振った器用貧乏な僕は、選択肢を選ぶ根拠となる知識なんてものは当然持ち合わせておらず、選択肢を選ぶ十分な動機もない。

さらには、学歴をあげて増えた選択肢にそこまで魅力を感じられず、逆に正しい道を選べなかったら世間のネタになるというリスクまでもらってきた。

クソゲーもいいとこだ。

 

ゲームなら選択肢まで戻って試行回数積んだり、最悪詰んだら最初からやり直せるが、

人生はそれを許してくれない。

一旦器用貧乏になってしまったら、なんの個性もなく、就職後は日々淡々とつまらない毎日を消化していくだけの人生になるんだろう。(器用貧乏というのは、ポケモンのゲームの対戦において最低ランクの罵倒語だ)

夢中になれることなんてそのうち見つかるというが、その時にはもう選べる選択肢なんてほとんど残ってないだろう。それじゃ意味がないのだ。

 

まあ、どんなに泣きわめいても、人生というゲームのシステムが変わることはないわけだ。

こんなクソゲーでも、攻略wikiに頼らず自力で攻略法を見つけ出すことに喜びを感じられる人になりたかった。

 

既に手遅れな気もするが、人生の大きな大きな選択を迫られている今の僕が欲しいのは、数多くの選択肢のその先まで詳しく記載されている「人生攻略wiki」である。

 

 

 

天衣ちゃんかわいかわい